パソコンはWINDOWS3.1の頃から始めたが、携帯電話は、世の中に広まりきってからも持たずにいた。仕事が増えるという警戒心からである。数年前に高齢の父親が夜中に行方不明になるという出来事があって、彼に持たすために自分も仕方なく持つこととなった。初めて買った携帯電話がまだ生きている。ガラケーというやつだ。副校長になったときに、やむを得ず中学の教職員には番号を教えたが、便利さと引き替えに面倒も増えた。

 先週・先々週と大雪で生徒を途中で帰したり、朝から休校にしたりと特別な対応をとった。現在、成城学園中学校ではそういう際の保護者への連絡として、一斉配信の業者を利用している。数年前までは各クラスで連絡網を作って保護者の役員さんを起点に電話連絡を回していた。それがアッという間に今のシステムに取って代わった。ところが、今回このシステムがうまく働かなかったのである。
 二つの原因が重なった。生徒を午前中で帰した日は、学園が加入しているプロバイダーの問題だった。送受信が異常に遅くなり、作業を完了する前に時間切れになってしまうということが起きた。休校の連絡をしたときは、おそらく東京中で同じようなことが起き、電話回線がパンクしてしまったようだ。私と総務部長との携帯電話でのやりとりも途中でプツッと切れることがあった。他校でも同様の事態が起きていたようだ。
 日本中、あるいは世界中でいろんなシステムがデジタル化した。インターネットもどんどん速くなった。しかし、それに頼り切っていると必ず落とし穴がある。大銀行のATMでさえ不具合をおこして出金できなくなるのだから、成城学園のような中小企業でトラブルが起きても全く不思議なことではない。それはわかっていてもこの仕組みからは逃れられないのが現代なのだ。
 今回は各組の保護者の役員さんが独自で作って下さった連絡網が役に立った。本当にありがたい。しかし、それも電子メールをベースにした連絡網だ。それが非常時に常に働く保証はどこにもない。やはり便利なものがうまく働かなかったときのアナログ的な状況判断と危機回避の方策は、どんな世の中になっても重要なようだ。
 先々週の大雪の時、ご家庭からの朝の連絡で「雪で帰りが心配なので今日は休ませます」という方が何人かいらした。大事なのはこの判断である。住んでいる場所も使っている交通機関も年齢も体格も生徒によって違っている。それぞれの事情に合った判断が必要だろう。学校は「警報」が出た時と小田急線が止まりそうな時に休校の措置をとる。しかしご家庭ごとの判断はそれより優先されて然るべきだろう。そしてデジタル的なシステムを信用しすぎない感覚も子ども達を守る上では欠いてはならないものだと考える。

 保護者から近ごろ承ったデジタルがらみの要望を二つ紹介しよう。
 ひとつは子どもに持たせたプリントの内容をホームページでもアップしてほしい、というもの。もうひとつは担任の携帯電話の番号を教えてほしい、というもの。
 前者は正確な情報が必要なとき、たとえば進級進学の手続きのような重要なものではあってもよいだろう。しかし日常がそうなることはマイナスでしかない。プリントを持って帰り、親に見せ、相談し、返事を学校に戻す。そういう一連の行動そのものができるようになるのは小中学生にとって重要な課題である。たいがい勉強の苦手な生徒はこれができない。親としては歯がゆいだろうが、この面倒を乗り越えさせること自体が教育なのだと知っていただきたい。
 そういえば、この「出たとこ勝負」もクラス通信だった頃は紙で好きなときに配っていたが、今や自分ではコントロールの効かないデジタル版だ。
 後者については各担任の判断ということになろうが、次のエピソードを紹介すれば、私の考えはお分かりいただけると思う。
 アルザス校時代に、夜中の3時過ぎにときどき電話をかけてくる保護者がいた。時差というものをご存じないはずはないのだが、お子さんのこととなると見境なくなるのが親心である。事故でもあったかと飛び起きて電話に出ると「○○の母です。日本食を送ったので受け取ったら電話よこすように伝言して下さい」。便利さの罠は常識を凌駕する。