給料が安いのを除くと、教師というのはなかなか幸せな職業である。中でも嬉しいのは、かつて関わった生徒が一人前の大人に成長した姿を見る時だ。しかもそれが一緒にお酒を飲むような場であるとなおさらである。
 私自身は都立高校の出身だが、最近は毎年のようにクラス会をやっている。担任の先生は2年ほど前に亡くなったが、亡くなる直前の会まで必ず出席して下さっていた。幸せな老後であるなぁと、同業者として羨ましく感じていた。
 私は生徒に好かれるようなタイプではないので、めったにそういうチャンスはないのだが、それでも担任をしたクラスの飲み会に呼んでもらえることがある。
 過日もアルザス校で彼らが高1の時に担任したクラスの教え子たち十数人と飲むことができた。もちろん今は「子」ではなく、33歳の立派な社会人である。卒業以来はじめて会う人も、何か別の機会に会ったことのある人もいたが、当時の面影はみんなしっかり残っていて、誰か分からないということはなかった。
 宝飾・空間デザイン・化粧品・テレビ番組制作・家電販売・スポーツ用品・専業主婦などなどさまざまな分野で活躍中とのことである。金曜の夜だったがこの年齢だとみんな仕事が忙しいらしく、会が始まるのも20時と遅めだった。自分で人材関係の会社を経営する女性もいた。人の死と関わる仕事をしている男性もいた。この会の呼びかけをしてくれた女性は旅行代理店勤務で、添乗もあるから世界中を飛び回っているとのことだった。
 アルザス時代の仲間の消息や当時の思い出話でアッという間の2時間半だった。翌日写真が数枚送られてきたが、こんなに嬉しそうな自分を見るのは久しぶりのことだ。
 卒業生たちはひとりひとりのことを教師が覚えているはずがないと思いがちだが、意外とくだらないことは覚えているものだ。前後の事情は忘れていても場面や状況だけは、記憶に残っていることが多い。
 退寮前の打ち上げの会で誰それがエッチな出し物を演じたとか。寮の窓から下を覗いたら、生徒の胸ポケットに入ってるたばこの箱を見つけちゃったとか。原級した子がその後頑張って、するすると大学まで行けちゃったとか。こっそり生徒を呼んで、わが家でカレーパーティーを開いたとか。寮のベッドに座って学期末の面談をしたとか。シゴルスハイムのマラソンで誰が一番だったかとか。シーンの断片が頭をよぎる。24時間営業のアルザス校は東京とは違った種類の思い出が溢れている。通いの教員だった私でもそうなのだから、生徒や、寮に住み込みでご苦労なさった先生たちにとってはあまりにも濃い記憶の宝庫なのだと推察する。
 飲み会当日には私の後に彼らを高3で担任したY先生もいらしていた。もう定年をとっくに過ぎたおじいちゃんだが、いまだに機嫌良く前向きに過ごされている。大好きで尊敬する先輩教員である。先生とは一月ほど前に別口で飲んだばかりである。

 前校長も現校長も二人の現副校長もアルザス校勤務の経験がある。中高の合同部長会を見渡すと参加者12人中8名がそうである。閉校は残念だったが、まだ東京校では中高が別々に運営されていた時代、アルザス校で中高それぞれから派遣された教員が一緒に働いたという経験は今の一貫校への流れ、さらには数年後に待っている一貫校舎での生活を考えると大きな財産であることは間違いない。そしてその卒業生たちが同様に成城学園の仲間であることはさらに大きな財産となっている。