私の所属する国語科では中3の三学期に教える内容がだいたい決まっている。ときどき血迷って変更してみることもあるのだが、いつの間にか戻ってしまう。井伏鱒二の『山椒魚』と漢文である。
 読解を基本とした国語Ⅰでは『山椒魚』を読んでいく。かつてはほとんどの教科書出版社が国語の教科書に載せていた作品だ。だから日本中の、ある年齢以上の方々は習っているのではないだろうか。自由やその限界、人生の不条理と悲しみ。自我が確立し始めている年齢に読ませるにはもってこいの内容だ。こんな作品を若い時代に書いてしまう井伏という存在に驚かされる。ところが、井伏自身が後年「自選小説集」を出版するときに、結末の内容を書き換えてしまう。私はそのころ大学生だったと思うが、スポーツ新聞までがそれを取り上げるほどの騒ぎだったと記憶している。最後の数行を削除しただけなのだが、全く内容が変わってしまう。それ以降、中学校の教科書から『山椒魚』は消えた。
 しかしこの良き作品を中学生に読ませない自由は我々にはないと、成城学園中学校国語科はしつこく扱ってきたのである。

 知識と技術を基本とした国語Ⅱでは漢文の基礎を学ぶ。返り点の規則を練習したり、漢詩や論語を暗唱したりする。また書き下し文と口語訳の練習として、今年は韓愈の「雑説」を読んだ。これは高校生レベルの作品だろうが、才能が認められない不遇に共感するのか、生徒はよく学んでいたと思う。高1の1年間は専門の教員によってさらに漢文の学習に磨きをかけていってもらうことになっている。
 というわけで、井伏と漢文といったらあれだなと、こじつけることにした。

 勧君金屈巵・・・君に勧む金屈巵 (きんくつし)
 満酌不須辞・・・満酌辞するを須(もち)いず
 花發多風雨・・・花發(ひら)けば風雨多く
 人生足別離・・・人生は別離足る

 これは唐代の于武陵(う・ぶりょう)の「勘酒」という作品だ。これに井伏鱒二がすばらしい訳を施した。

 この杯を受けてくれ
 どうぞなみなみ注がしておくれ
 花に嵐のたとえもあるぞ
 さよならだけが人生だ

 授業でやる現代語訳と違って、カッコ良いだろ。最後の二行が評判になったらしい。人生で別れは避けられないものだから、今この時を大切にして一緒に飲もう。というような意味なんだろう。
 3月10日、高等学校卒業式。3月19日、中学校卒業式。この詩をキミたちへの贐(はなむけ)の代わりとしたい。さよなら。
 だけど、べつに酒を飲めって言ってんじゃないからね。