校内大会について書いた時にちょこっと触れたが、成城学園中学校では生徒会のことを「自治会」と呼んでいる。学園高校では「生徒会」と言っているが、どういういきさつがあってそうなってしまったのかは知らない。私がこの学校に来たときには既にそうだった。教員が指導はするが、あくまでも独立した生徒の組織だという認識なので、彼らが名乗りたいように名乗れば良い。
 自治会の運営を年間通して担っているのが、12人の常任委員だ。自治委員会を開いて、クラスからの意見を吸い上げたり、行事の運営をしたりと、忙しい毎日を送っている。最近は教師におだてられて、朝の登校指導に参加したり、学校説明会の相談コーナーに座らされたりと、学校の下働きまでしてくれている。

 私の入学した大学には自治会がなかった。学生運動が激しかった頃に、あるセクト(政治団体)が自治会を私物化し、学生運動の衰退とともに自治会も消滅した状態になっていたのだ。いろんな偶然が重なって、私は自治会の再建に力を出さざるを得ない立場になってしまった。奇妙な毎日だった。過激派のお兄さんお姉さんとよく議論した。彼らはほとんど元学生で、年齢もずっと上だった。宗教団体を母体とするサークルの人たちとも交渉した。学生部のお役人たちに取り入ったり戦ったりもした。結局、大学祭は復活させたが、いよいよ自治会再建というところで卒業となってしまった。その後、全く関わることはなかったので、どうなったかは知らないが、もし今、私の出身大学に大学祭と自治会があるのならば、その出発に参加できたことは幸せな経験だったと言えるだろう。一種の自慢話だ。そしてこれらの経験を通して組織とは何か、意見の違う人たちとどう協同するかなど様々なことを学ぶことができた。

 そんな思いをしたせいで、自治会という名前にはどうしてもこだわってしまう。自治会は自然とそこにあるのではなくて、自分たちが主体的に作り、守っていかなくてはいけないものだと信じている。中学生にそんな話をしたって「?????」だろうから、直接は言わないが、時々は揺さぶりをかけてみるのも悪くないかと思っている。
 数年前、生活部長をしているときに、自治会からの要求二つに対して許可を出した。ペットボトルの自動販売機と男子のポロシャツである。今の在校生はそれらを当たり前に享受しているが、当時の常任委員を中心とした自治会の奮闘があったからこそ勝ち取ることのできた環境なのである。こういう話が常任委員の間で代々伝わっていけば嬉しいが、どんなものなのだろう。いつのまにか誰かがお膳立てをしてくれているというのではなく、これからも自分たちの力で要望を実現させる生徒たちであってほしい。
 そろそろ来年度の常任委員選挙の投票日である。