学校とは無関係の話なので悪しからず。
 「山海塾」の舞台を見に行った。昔、東芝のテレビのCMで、全身を白塗りにした男がまったく手をつかずに仰向けにバターンと倒れるシーンを映していた。覚えていらっしゃるだろうか。あれが山海塾のメンバーだ。天児牛大(あまがつうしお)を主催とする舞踏集団だが、日本より海外での人気の方が高いと思う。パリ市立劇場と共同プロデュースという形での舞台を作って、もう何十年にもなるのではないか。2010年のパリ公演のチケットは発売初日に完売したそうだ。そのパフォーマンスは美しく洗練されていて、刺激的でかわいらしくさえある。白を基本とした姿がゆっくりと動いていく。身体そのもの、立ち姿そのものまでが特別だと感じさせる。演技を評論する力は私にはない。舞台とはズレた感想を二つ書こうと思う。

1.良いものが支持されるとは限らない
 三軒茶屋の狭いホールは満席ではなかった。1階は8割ほど埋まっていたが、2階はスカスカ、3階に至っては最前列あたりにしか客はいなかった。山海塾のクオリティの高さは前述したとおりだが、このすばらしい舞台がガラガラの状態でおこなわれていると知ったらパリ市民は驚くだろう。
 日本人の好みは流行に大きく左右される。流行ってるから行ってみる。テレビで話題になってるから見に行く。そういう傾向が強い。あれだけ混雑していたスキー場が今ではガラガラだ。ラーメン屋の価値は味よりも行列の長さで測られる。どんなに良くても山海塾の舞台は見てもらえない。流行ってないからだ。それに対してフランス人は良いものは良い。好きなものは好き。他人がどうかはあまり興味がない。得体の知れない日本人の舞踏集団にパリはふんだんに援助を与え続けてきた。これはどちらが正しいとか、正しくないとかいう問題ではない。それが現実だというだけのことだ。
 で、「所求第一義」である。流行に左右されない本質を目指す本学の掲げる表看板である。山海塾のようにブレることなく自分たちの本質を貫くことは成城学園にとっても大切なことだ。しかしそれだけでは日本人から支持される学校にはなれない。きちんと流行に乗る、流行を作り出す、そういうしかけが必要な時を迎えようとしている。

2.過保護の違い
 客席では私の隣にたまたまフランス人(正確にはフランス語を話す白人)の家族が座った。夫婦と小学校低学年の少女の3人家族である。しかしチケットの都合か、1つの座席は2人とはだいぶ離れていた。この場合、日本の家族だったらどうするか。おそらく親のどちらか(たいていはお母さん)と少女が並んで座り、お父さんだけが離れた座席に座るのではなかろうか。知らない大人に我が子がはさまれたままひとりぼっちで座っている姿に日本の親は耐えられない。しかし予想通りフランス人の行動は逆だった。夫婦で並んで座り、少女だけが日本人の観客の間にポツンと座ることになった。こういう姿をアルザス校に在職する間たくさん見てきた。夫婦でレストランに行くとき、子どもはうちでお留守番。大人は大人、子どもは子ども。子どもがいつも主役とは限らない。それが子どもの自立を促す。学校で仕事をしていると加速する過保護とどう闘っていくかは課題のひとつである。このあたりにヒントがありそうだ。
 じゃあフランス人が過保護じゃないかというとそんなことはない。学校に親が送り迎えする姿は圧倒的にフランスの方が多い。けっこうな年齢になるまで親がしっかりと手をつないで歩いている。確かに誘拐や暴行は日本より多いだろう。しかし交通事故という点ではそんなに違いはないはずだ。だから日本で小さな子がひとりで歩いているのを見るとぞっとする。フランス人の過保護の方が理にかなっていると私には感じられるのだ。
 それにしても山海塾って良い名前だなぁ。「海の学校」「山の学校」あわせて山海塾と呼びたいほどだ。期せずしてフランスと日本とを比べる1日となった。