「海の学校」最終日に生徒に修了証を渡した。学年主任から何かまとめの話をしろと言われ、生徒に話をした。その場の思い付きを話したにもかかわらず、意外にも自分の「海の学校」に対する思いを語ることになったので、話の内容をここにも書いておこうと思う。

 今回の「海の学校」は前班も後班もずっと天候に恵まれた。本当に運の良い「海の学校」だった。ドラム缶でたき火をしながら寒さに震える「海の学校」もあったし、毎日雨でお楽しみ会の練習ばかりしていた「海の学校」もあった。波が激しくてほとんど泳げない年もあった。だからこんなに晴れの日が続いた運のよい「海の学校」はそれだけで素晴らしい。自然を相手に何かするときはこの「運の良さを味わう」っていうことも大事なんだ。「オレはついてない」とか「わたしは運が悪い」なんて思うより、天気のことだけでも「運の良いことがあった」と思える方がずっと人生に前向きになれるという気がする。
 地球という星ができたとき、まったく生き物はいなかった。いつの時点か海の中に最初の生命が生まれた。その生命は海の中でだんだん、だんだん進化して、やがて海から陸に上がった。陸に上がった後も気の遠くなるくらい長い時間を経てオレたちのような複雑な生物に進化した。
 オレは「海の学校」ってそういうことかなっていう気がしてるんだ。オレたちすべての生き物のおおもと。すべての生命の源である海と触れ合うこと。海を感じること。海から学ぶこと。それが「海の学校」だと思うんだ。
 遠泳をしたとかしないとか、ライフセービングをしたとかしないとか、そういう具体的なことももちろん大事なんだけど、何だかもっとでっかいこと、あそこからおれたちの命は来た、ということを感じることなんじゃないかと思ってる。そしてそれができるのは人類だけだ。サルもパンダもライオンも蚊もみんな海から生まれた生命の子孫だけど、彼らはそのことに気づくことはできない。だからそれに気づくことのできた人類は海を知るための努力をする義務があるんじゃないかと思っている。
 だから「海の学校」に終わりはない。さっき「修了証」を渡したけど、それは一つの区切りがついたというだけだ。海を知るためのはじめの一歩、第一段階が終わっただけであって、これからも海と触れ合い、海を感じ、海から学ぶことを続けていってほしい。