今年の「海の学校」「山の学校」も無事おわった。これらの行事は多くの方々に助けられて何とか成立している。OB・OG、ガイドさん、山小屋やホテルの方々、他にもいろいろな形で支えてくださっている多くの皆さんにお礼を申し上げたい。そして何と言っても、このしんどい行事を毎年毎年運営している我が同僚たちには頭が下がる。
 人々だけではない。中学校がこれらの行事で長い間お世話になってきた学園施設が二つある。
 一つは「海の学校」の宿泊施設として利用してきた富望荘。富浦の海岸に面した立派な海の家だが、老朽化が進み、一昨年度から宿泊には使わなくなった。今年も海から生徒が上がった時のシャワーとトイレのみで利用した。かつては初等学校の「海の学校」、中高の部活動や大学のゼミの合宿などでも利用されていたが、近年はほとんど中学校の「海の学校」だけでしか使われなくなっていた。
 海で活動するには絶好の立地にある施設なのでこのままにしてしまうのはもったいない限りだが、どうすべきなのだろうか。今回わたしは海の後班の付添いをしたが、立派なホテルに泊まるのは確かに快適なのだが、富望荘が海の学校全体に与えてきた価値にはやはり及ばないものだと実感することとなった。
 もう一つは栂池高原にある太極荘だ。一昨年までは「山の学校」白馬班の出発日と、唐松班の最終日に使ってきたが、今年度は唐松班だけで利用した。
 1935年、まだあの辺りが国立公園に指定される前に建てられた山小屋だ。国土地理院発行の地図には成城大学小屋と書かれているが実際は学園全体の小屋である。この場所に山小屋を持っていることの価値をみんなにもっと知ってもらいたいと思っている。
 この小屋では食事の用意を唐松班の生徒たちのために教員が行う。わたしは唐松1班の食事作りを担当した。(唐1の生徒、おなか壊さなかったよね?)学校では見ることのできない教員の別の面が見られる貴重な場所でもある。
 OBが保存のための会を作ったり、信州大学の調査が入ったりと、保存のための動きが活発化し始めているようだが、学園の中で一番利用している中学校ができることは、その価値を広めていくことなのだろうと考える。