創立当初から、スポーツなどの優秀選手だけを育てたり、部活動で学校の名を売ったりというようなことを目指すような学校ではなかったらしい。とは言うものの、スキーだけは成城学園にとって特別なスポーツなのかもしれない。中学校のスキー学校パンフレットには「成城学園は、昭和5年(1930)に、オーストリアの有名なスキーヤー、ハンネス・シュナイダー氏を招き、指導の機会を得ました。日本でスキーがほとんど行われていなかった時代のことです」とある。スキー学校は今もって続けられているが、日本のスキーの発展とともに歩んできたと言えそうだ。そう言えば私が教師になり立ての頃の年配の教員にはスキーの道具や技術などをドイツ語で言う人が多かった。ビンディングのことをバッケンなどと呼んでいた。
 初・中・高・大の合同で今も教員対象のスキー研修が行われているというのも珍しいのではないだろうか。成城学園の教師には体育科でなくてもスキーができる人材がたくさんいるわけだ。
 私が教員になった頃は志賀高原に連れて行っていた。学年ごとに3軒のホテルに分宿していた。この形が長く続いていたがその後、万座、雫石を経て、現在は安比高原に落ち着いている。形態もずいぶん変化してきた。3学年を連れて行ったこともあるし、1・2年生だけでやったこともある。外部のインストラクターを雇うこともあったし、教員や卒業生だけでコーチ陣を組むこともあった。時期も1月、2月、3月どれも実施したことがある。その時々の状況にあわせて工夫してきたのだろう。
 また、東京の中学校でスキー部を持っているところがいくつあるか知らないが、やはり珍しいのではないだろうか。
 今年度も無事にスキー学校を終わらせることができた。3学年の希望者を募り、202名の参加があった。吹雪でゴンドラが止まったこともあったが、大きな事故もなく楽しく滑ってきた。私は東京で仕事があったので、今年は参加できなかったが、来年こそはとコーチの座を狙っている。
 不況と並行してスキー人口も激減してきた。スキー場がつぶれたという話もよく聞く。しかし今後とも成城学園はスキーというスポーツを大切にしていける学校であることを願っている。

追伸:体育科OBの尾形良悟先生が亡くなられた。教員のスキー研修会で先生の後ろを必死にくっついて滑った日を思い出す。自分では絶対にしないコース取りだった。こんな滑り方があるのか。私にとって「教えること」の神髄に触れた瞬間だった。ありがとう、オガチョン。