高校の入学式で式辞を担当しましたので、それを載せます。校長になってしまった関係で、「副校長ブログ」は今日でおしまいです。タイトル通りの「出たとこ勝負」でやってきましたが、お読みいただいた方々に感謝の気持ちが届くことを願っています。ときどきかけていただく声が励みになりました。ありがとうございます。今後ブログをどうするのかは、広報の担当者と相談して運んでいきたいと思います。

(あいさつ部分はカット)

 新入生のみなさんは、藤原定家という名前を聞いたことがありますね。学園中学から入学される人達は、国語Ⅱという授業で、百人一首について勉強しました。その時、小倉百人一首の撰者として藤原定家の名前を覚えたはずです。高校から入学される人達は受験勉強などを通して必ず目にした名前だと思います。
 その藤原定家は「明月記」という日記を残しています。明るいお月様の日記で明月記です。基本的には漢文で書かれていますので、国語の教師である私にもすらすら読むことは難しいのですが、そこにはとても面白い記事か書かれています。
 適当にはしょりながら書き下し文を読んでみます。

 『天喜(てんぎ)二年四月中旬以後の丑の時、客星(かくせい)出づ。』

 天喜二年は西暦1054年のことです。客星というのはお客様の客という字に星と書きます。これはいったい何のことでしょうか。お客様の星ということで想像力の豊かな人には、わかったのではないでしょうか。普段はそこには存在しない星、それがやって来たということです。
 本文は続いて、『東方に見(あら)わる。大きさ歳星の如し。』とあります。歳星は木星のことです。つまり1054年の4月中旬、夜中の2時ごろ、いつもは見慣れない星が出た。東の方に表れた。大きさは木星と同じくらいだった。という意味になります。
 1054年に定家はまだ生まれていません。ですから、誰かから聞いた話を日記に書いたのだと思われますが、実際、この年の4月にはおうし座で超新星爆発があったことがわかっています。その爆発の残骸がかに星雲と呼ばれているものだそうです。超新星というのは重い星が、その一生を終えるときに起こす大規模な爆発現象のことです。つまり定家の記録というのは天文学上の貴重な資料となったわけです。

 私がみなさんに伝えたいのはここのところです。
 一方では「明月記」という古典を読む、文系の学問、もう一方では「超新星爆発」という天文学、すなわち理系の学問。このかけ離れた二つがしっかりとつながっている。両方の知識が結びついて初めて学問に広がりがうまれるのです。
 私たちは、ついつい自分の役に立つ勉強、興味のある勉強に集中してしまうあまり、その他の勉強を疎かにしてしまいがちです。学問が専門的になればそれは当然のことでもあるのですが、しかし、一見無関係に見えるところに、大切なつながりが隠されていることがあります。
 自分は理系の受験をするから古文や日本史は手を抜いてしまおうとか、英文学の方面に進みたいから、物理や数学は関係ないとか、そんなみみっちいことは言うのをやめましょう。中学校の校長室の壁には「博学深究」と書かれた額が飾られています。学園の創設者である澤柳政太郎の言葉です。幅広く学び、深く究めよという意味です。
 高校で学ぶことは実生活の役に立つと言うよりは、これからさらに大学などで学んでいく時の基礎となる知識や技術が中心となります。目先の好き嫌いや損得に惑わされることなく、広く深く学んでいってほしいと思います。思いも寄らない結びつきを発見できるかもしれません。
 人間関係も同様です。全く自分とは縁がないと思っていた相手と接することで、新たな目が開かれることが良くあります。気の合う仲間と付き合うのはホッとしますが、それだけでは飛躍は生まれない。自分と考えの違う人と互いに高め合うとき、未来への新しい一歩が踏み出せるのです。この学校での3年間を新しい自分を見つけ出す日々として過ごしていただきたいと願っています。(後略)