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  • 2015.04.09

    特別編 石井校長 出たとこ勝負④ 2015年度高等学校入学式式辞

    出たとこ勝負

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[挨拶部分省略]
 今年は2558年です。そんなことはないだろ。と思った人もいるでしょうが、事実です。私はこの前の年末年始にタイのバンコクに遊びに行っていたのですが、街には2558という数字があちこちに書かれていました。つまりタイの暦では今年が2558年ということになっているわけです。それを知らなかった頃、食べ物の賞味期限を見た時にギョッとした記憶があります。この暦は仏教のシャカの入滅、亡くなった年を基準に作られているそうです。世界にはこのようにいろいろな暦を使っている国や地域があります。
 インドには暦がたくさん存在していたため、60年ほど前に国が定めた統一の暦があって、今年は1937年ということになっています。またサウジアラビアなどの国ではイスラム暦が使われていて、今は1436年だそうです。これはイスラム教の預言者ムハンマドがメッカからメジナへの遷都を行った年を基準にしています。この暦は面白いことに1年の長さも西暦とは違うので、ズレがどんどん広がっていきます。ロシアがソビエト連邦と呼ばれていたころには1週間を5日間で数えていたこともありました。曜日は赤曜日とか緑曜日のように色の名前を付けていたそうです。
 我々が一番馴染んでいるいわゆる西暦は知ってのとおり、今年2015年ですが、これはキリストの誕生を基準に作られています。日本にも独自の暦がありますね。今年は平成27年。この暦が天皇の即位と連動して作られていることはみんなの知っている通りです。
 こうやって見渡してみると、カレンダーというのはその国やその文化の大切にしているものや力関係が反映されていると言えそうです。
 近年国際化とかグローバル化とか、そういう言葉を耳にすることが増えました。学校教育の場ではそれは英語ができるようにすることや留学の機会を増やすことに反映されています。しかし本来の国際教育はもっと広い意味でとらえる必要があります。皆さんはいろんなカレンダーを持つ世界中の人たちと一緒に生きていく、そういう時代に高校生活をおくることになります。
 交通手段や通信網の発達で世界は確かに狭くなりました。今まで知り合う可能性の低かった国や地域の人とも知り合うことが増えていくはずです。でも、日本人同士で知り合うのも、他民族の人と知り合うのも、私とあなたという人間同士が出会うという点ではたいした差はありません。私とあなたが知り合う時、二人は互いに違うということを認め合わなくてはいけません。同時に二人は同じだということも認め合わなくてはいけません。
 違いにばかり目を向けてしまうと、悲劇が起きます。民族が違う相手は信用しない。文化の低い相手は侵略してしまおう。宗教が違う相手は殺してもいい。そういう極端な発想につながっていきます。残念ながら昨年度はそういう悲しい事件が世界中で起きてしまいました。
 先日もチュニジアで日本人が銃撃によって命を落とすという事件がありました。実は後ろに座っている佐藤副校長と私は以前チュニジア旅行を一緒にしたことがあります。親切な人の多い、のんびりとした国でした。ハンニバルとかカルタゴなんていう名前の電車の駅があって、世界史の教科書を思い出しながら旅をしました。しかしあの悲しい事件のせいでチュニジアはしばらくの間、のんびり旅のできる場所ではなくなってしまいました。でも考えてみてください。引き金を引いた人と命を落とした人のどこが違うのでしょうか。国籍ですか。人種ですか。宗教ですか。経済力ですか。それらはひとつひとつ大切なものですが、その違いは人の命を奪うほどの隔たりではない。その違いより、同じ人間であるということの方がずっと重いはずです。

 私とあなた。二人は違う人間。でも二人は同じ人間。この一見矛盾した精神こそ国際化の基本だと思うのです。成城学園中学校高等学校の国際教育はそうあってほしい。どんな人種の人も差別しない。どんな宗教を信じている人も差別しない。どんなコトバを話す人も差別しない。どんな暦を持つ人も差別しない。だけど自分の意見は堂々と述べることができる。そんな人に成長してくれることを願っています。
 そういう点では日本人は賢い民族です。長い歴史の中で新しく出会った日本とは違う文化をつぎつぎと取り入れてきました。中国から漢字をいただきました。インドから仏教をいただきました。ヨーロッパから産業革命をいただきました。でもちゃんと日本人であることを続けています。皆さんもそういう賢い日本人のひとりとして国際化の社会の中で生きる準備を、この成城学園でしていってほしいと思います。
 もちろん英語の勉強もお忘れなく。[後略]