中高が別々に校長を置いていた時代の、中学校最後の校長だった新倉さんの発案だった。「作文発表会やってみない?」彼が校長になる前の国語科の一員だった頃の話だ。
 国語科からその提案を出したときの学科主任会は大変だった。大反対を受けたのだ。「選ばれた10人程度の生徒だけが良い経験をできて、他の生徒は聞くだけじゃないか」「知らない生徒の作文を他の子たちが静かに聞くはずがないでしょ」さまざまな正論が吹き出して、当時国語科主任だった私はしどろもどろだった。「でも、とりあえず1回やらせてよ」と中身のない懇願を繰り返した。
 何とか渋々認めてもらうことができ、第1回作文発表会が開催された。もう27年も前の話である。

 国語科の教員は1年間、とにかくたくさんの作文を読むのに忙しい。その中に、大勢の人達にぜひ読んでもらいたい、ぜひ聞いてもらいたいという内容の作品を発見することがある。その気持ちを形にしたのが作文発表会である。
 国語科の各教員がこれぞと思える作品数編を提出し、科員全員で回し読みをする。投票した後、意見交換をしながら10人ほどを選んでいく。
 その時の国語科の教員たちの様子を見ていると、嬉しくなることがある。みんな生徒をよく見て、大切に思っているんだということが伝わってくるのだ。
「この作品、インパクトはあるのに結末の部分が弱いよね」「でも下書きの段階でそこを十分話し合った上で、彼が出した結論ですから本音なんでしょう」「あいつらしいね」
「この二人同じ部活で同じテーマだから、並べて発表させようか」「片方は天才肌、もうひとりは努力家らしいですよ」
「ああ、この生徒がみんなの前で読むなんて、ホントどきどきする」
「この子、全員の先生が◎をつけてる。やったぁ」などなど自分のことのように反応している。
 800人の聴衆を前に自分の作品を朗読するのだから、誰でも緊張する。選ばれて喜ぶ生徒が多いが、尻込みする子もいる。それを説得し、聞きやすい言い回しなどに注意しながら書き直させて、リハーサル・本番へと進んで行く。笑いあり、涙あり、感動ありの1時間だ。
 作文発表会で生徒の聞く方の態度がひどかったことはほとんどない。発表者を知っているかどうかに関係なく、同世代の言葉をまじめに受け止めようとしているのではないか。先生によってはクラスでプレ作文発表会をおこない、全員に読ませることもある。
 当日のプログラム用紙の一番左側には、印象に残った作品を選んで、感想を書く欄がある。全員の生徒にそこを切り取って提出してもらう。まとめて発表者に手渡す。たいがい爆笑するような内容の作品が何十枚も集めるが、深く考えさせるような作品にもちゃんと支持者がいる。匿名なので中傷するようなコメントがあるかと心配したが、それもめったにない。一人の教員の思いつきで始まった行事だが、卒業式前々日の定番となった。

 今年も、3月17日(月)8時45分ごろからおこなわれる。合唱コンクールと違って、いつも保護者はちらほらしかいらっしゃらないが、興味のある方はぜひ講堂に足を運んでほしい。