NEWS

  • 2025.10.10

    副校長ブログ「ゆめみる」第50号 『スマホ雑感』

保護者会で、生活部からスマホの話をしない時はないのではないか。どこの学校でもそうかもしれないが、中高生を取り巻くスマホ事情、本当にアタマが痛い。

本校では学年の初めに「スマートフォン・携帯電話等の利用に関する誓約書」を生徒・保護者それぞれの署名入りで提出してもらっている。7項目にわたる誓約事項が書かれていて、これを破った場合には、一時預かりなど指導が入ることになる。
生徒はその誓約書を提出したところでスマホを学校に持ってくることが許され、登校後は電源を切ってロッカーにしまい、学校生活の時間帯はスマホに触れてはいけないことになっている。

成城学園はスマホの指導をそれなりに厳しくやっているほうだと思う。筆者の自宅近くの学校や、ちょくちょく訪れる学校などを見ると、最寄り駅から学校までの「ながらスマホ」まで指導しているようにはあまり感じられない。たまたま下校時で教員の目がない故かもしれないが、生徒たちは当たり前のようにスマホを操作しながら歩いている。成城の場合、「ながらスマホ」は駅からの通学路上も指導の対象で、筆者も毎朝のルーティンで、生徒へは声掛けをしている。確かに下校時は見えない部分もあるが、朝の登校時についてはずいぶん守られているように見える。

最近、愛知県豊明市での「スマホ条例」が話題となった。報道によれば賛否種々あるようだが、そもそもの理由にある「スマホに縛られない時間をつくってほしい」という思いに対しては、中高生を相手にする一教員として同感できるものだ。

というのも、今朝、駅を降りて学校にいく道すがら、気づいたことがある。私の前を歩いている女子生徒が、二人並んで話をしているのだ。中学生だろうか、ふたりで肩を寄せ合って何やら楽しそうに会話している。そんな光景が至極当たり前だったのは昔の話、今は会話もなく歩きスマホする男子数名が突如「オ~ッ」とか「ギャッ」とか奇声を上げる光景だったり、でかいヘッドフォンから流れる音楽に没頭してそそくさと独り歩く女子だったり…。どちらが朝の光景として健全かといえば、友達同士笑ってワーワーいいながら学校に向かう方がゼッタイいいと筆者は思う。

今の子どもたちはスマホネイティブ世代といわれる。ネイティブというのだからスマホから離れた生活は考えられないのだろうが、逆にネイティブであればこそ、いちいち言われなくても当たり前のことは、自身の内でしっかり規範化すべきではないか。それこそがネイティブたる条件であるように思う。他者を中傷したり、許可なく他人の顔をネット上にあげたりするようなことは、ネイティブ世代では「ありえない、恥ずかしい行為」と嘲笑される時代に早くなって欲しいと思う。

握りしめたお金を数えながら駄菓子を買った世代とは全く違い、今やかざせば支払いは完了し、残金がなくなればオートチャージされるキカイとともに彼らは生きている。お金のありがたみやそれを手に入れる苦労も、何もわからないまま彼らは育っていくのだろう。いや、そのお金だって、今やつくった動画や自分の特技をネット上で披露したことがバズれば、勝手に収入が増えていくご時世である…。LINEの返信さえ、AIが考えてくれた候補から選べばいい時代っていったい何なのか…。人間はもうバカになっていくゴールしか見えないではないか。

やはり、意識的にスマホから切り離された時間をつくってみよう。そのことが、ニンゲン力の回復をはかることになり、バカになって愚かな滅び方をするニンゲンを守る方法のような気がしてきた。

スマホネイティブ世代への、昭和世代のオッサンからの警告。

NEWS一覧