NEWS
2025.04.11
3月17日、成城幼稚園の卒園式に出席した。同じ時間帯に重なってしまった進級判定会議に出なければならない校長の代理としての参列だった。
目の前を、緊張でガチガチになっている6歳の子どもたちが列をつくって入場する。緊張の面持ち。幼稚園ではあまり見かけないのだろう、ネクタイをした白髪のおじさん達(来賓の先生方)を、入場の列の半分ぐらいの目が、不思議そうにじっと見上げる。
歌が始まった。『挨拶の歌』『成城 成城』。歌になると、ガラッとスイッチが入る。大きな声、キーの高い幼稚園児の声だ。わが子の時もこんなだったんだろうか… 20年ほど前の遠い記憶をたどる。
証書授与。名前を呼ばれ、手をあげて椅子から立ち、半円形に並べられた椅子に沿って歩き、園長先生の前に行く。証書を受け取って小脇に抱えたあと、園長先生と握手をする。上下に3回、結んだ手を振る。園長先生の後の話によれば「ちゃんと園長先生の目を見て握手しようね」というふうに伝えていたらしいが、半分ぐらいの子の目線は、恥ずかしそうにそれていたか…。
ふと保護者席に目をやると、涙が押さえられないお母さんたち。
『さよならぼくたちのようちえん』をうたい始めたら、一気にハンカチの数が増えたようにみえた。それにつられ、こちらもグッとこみ上げる。
はじめてのお子さんもいるだろう。何かというとすぐ熱を出すわが子にオロオロしたお母さんもいるだろう。出産の痛みを筆者は知る由もないが、その前の悪阻のころからずっと命を一緒に紡いできたわが子の晴れ姿。その子が、大きな声で大きく口を開けて歌っている。まるで吐く声の圧がカラダを揺らしているように…。
保護者席の涙から、ふと我に返る。「ん?中高生って、何年後?」と。
目の前の、無垢なるもの、「プラス10年」。16歳、高1の年齢だ。
またまた我に返る。
「無垢か?いやいや、問題は起こすし、言うことは聞かないし、悪知恵もついているし…。いつから汚れるんだろうか…。」「オイオイ、汚れるとか言っていいの!?」と逡巡しつつニヤッとしてしまう。
「無垢なるもの」のままだったら、おそらく成長はない。子ども社会とはいえ、世間の荒波にもまれ、傷ついたり、その傷を必死で隠したりしながら、「無垢なるもの」はだんだん人生の垢にまみれていく。
「中高の教員のシアワセとは何だろう?」と自問してみる。
取り立てて高給でもなく、自分の仕事が即評価につながるわけでもない。最近ではむしろあちこちからの批判にさらされる職業だ。
おそらくは、「10年後」の生徒たちの中に、「無垢なるもの」を一瞬でも感じたとき、それは笑顔になれる瞬間かもしれない。少なくとも私は、今までの成城学園での教員生活でシアワセを感じてきた。なぜなら、成城学園の生徒たちには、あちこちに「無垢なるもの」が見える「隙き間」がたくさんあるように思うから。