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2024.09.27
この夏の大きな出来事のひとつに、日向灘を震源とした地震をきっかけに出された「南海トラフ地震臨時情報」があげられよう。その日は、部活の合宿から帰京した日で、帰宅してテレビをつけると大騒ぎになっていた。その翌日には神奈川県西部を震源とする大きな地震も起こり、人々のあいだに「いよいよか…」という恐怖が広がっていったように思う。
筆者は毎年夏に岩手の実家に帰省しているが、この夏、何年かぶりに東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県南三陸町を訪れた。町全体の「かさ上げ」が行われている南三陸町、訪れるたびにその光景が変わっていく。震災の年の夏に訪れたときにはまだ大変な状況で、町の手前の高台にある志津川中学校から、跡形もなく消えてしまった街並みと亡くなった方々に手を合わせることしかできなかった。小さい頃、海水浴に幾度となく訪れた町のあまりの無残ぶりに、ことばを失った。
あの時、がれきの中にあった「防災対策庁舎」。ここに避難した43人が大津波の犠牲になった建物だが、現在は震災遺構として、整備された復興祈念公園に残されている。ひしゃげた鉄骨が津波のすさまじさを物語る。
現在の中高一貫校舎は2016年の春に竣工したが、その計画段階から関わった筆者としては、地震対策は一番気にしていた部分だった。一般的な建造物よりも鉄筋の本数を増やし、頑丈な構造になっている。建設途中の鉄筋の組み上げからずっと見てきたが、この建物のコンクリート柱の中にどれだけの密度で鉄筋が収められているかを見ているので、まったくの素人感覚だが、そう簡単には壊れないだろうと安心感のようなものはある。
また、この校舎の地下1階にある倉庫には全生徒がほぼ3日はとどまれるだけの非常食・飲料水が備えてある(一人あたりペットボトル9本、非常食8食)。緊急時には飲料水・生活用水として使用できる水が受水槽に常時貯められており、さらに各教室には非常時に自家発電装置(3日間程度稼動可能)からの電源供給を受けられるコンセントが1ヶ所ずつ設置してある。
「天災は忘れたころにやってくる」のことばを、いま一度思い起こさなければならない。この酷暑の時期に起こったらどうなるか、周辺の住宅から火の手があがったらどうするか、安否確認や集合のルールを家庭で確認しているか、登下校時の緊急避難校はどこか、等々。
改めて想像力をめぐらせ、行動しよう。
震災遺構として整備された防災対策庁舎
ひしゃげた鉄骨
倉庫の災害備蓄品
校舎地下にある受水槽