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  • 2024.05.02

    副校長ブログ「ゆめみる」第22号 『学校の「音」』

子どもの声がうるさいとの苦情を受けて閉鎖された公園や、除夜の鐘がうるさいとのことで昼間に鐘を鳴らすことになった寺のことなど、最近「音」に関する話題をよく耳にする。音量的にうるさい「騒音」と異なり、音量に関係なく人が心理的にうるさいと感じる音を「煩音」というらしい。ようやく寝てくれた赤ちゃんがいる家庭もあるだろうし、病気を抱えた高齢夫婦の家庭もあるだろう。一概に良し悪しを断定できない「音」問題だが、さてさてこの学校はどうだろう。

今日は昨日と打って変わって暑いぐらいの陽気、昼休みにカフェテリアのテラス席に座ってお茶を飲んだ。普段テラス席にはあまり座らないが、この時期は吹く風もさわやかで、とても心地良い。今はスポーツテストの時期で、全面人工芝の第1グラウンドでは、ボール投げや50m・100m走など、中高のいくつかのクラスがあちこちに散らばって体育の授業をしている。

「オン・ユア・マーク!」「セット」…「パーン!!!」とスタートのピストルの音。
見ている生徒たちの声援や笑い声。
体育の教師は、遠くの方で何やら生徒たちに指示を出す声を張り上げている。
それらが、中高の校舎のコンクリート壁に跳ね返って、グラウンドに「いい感じ」に響いている。

筆者はさわやかな春の風と、穏やかな日差しの中で「いい感じ」と思っているが、ふと目を転じて仙川の先をみると、川沿いにはマンションが立ち並ぶ。さらには窓がすべてこちらを向いている。住人のみなさんにはこの学校の「音」がどう聞こえているのだろう。

もちろんこの地にはこの学園のほうが先にあったわけで、普段からの学校の「音」に苦情が寄せられているわけではないのだが、筆者が感じた心地良さと同じ感じを住人のみなさんが持っているのかと考えると、おそらくそうではないだろう。飛翔祭やその予行練習の時も迷惑をかけているだろうし…。

学園がこの地につくられたからこそできた街ではあれど、街のみなさんとともにある学園という謙虚さを持つことも大切なこと。とはいえ、「地元」の人間ではない生徒も多い中で、こういう感覚をいかに伝えるかは、意外に難しい。

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