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  • 2017.02.27

    言葉の筋トレ17 振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない

    言葉の筋トレ 石井弘之

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第17回

振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない

寺山修司
(この言葉は西棟4階にあります)

 二十代のころテレビのない生活をしばらくしていたが、かわりにFMラジオを聴いていた。そのころ野田秀樹率いる「夢の遊民社」の芝居をよく観に行っていたが、劇団の二枚看板女優だった竹下明子と円城寺あやが短歌を朗読するラジオCMがあった。それが寺山修司の短歌との出会いだった。たぶん洋酒メーカーのCMだったと思うが、何十年も前のことなので確かではない。

ころがりしカンカン帽を追うごとくふるさとの道駆けて帰らん
海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり
ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまで苦し

など、ややハスキーな声で語られる短歌が強く印象に残り、すぐに「寺山修司全歌集」を買った。実は寺山の言葉と最初に出会ったのはもっと古く、小学校の高学年、カルメン・マキが唄う「時には母のない子のように」かアニメ「あしたのジョー」の主題歌のいずれかだ。どちらも寺山の作詞だった。
 芝居の世界でも寺山は演劇実験室「天井桟敷」を主宰していたが、私が芝居をよく観るようになった頃にちょうど亡くなってしまったので、寺山が直接演出を手がけた作品を観ることはなかった。後年、寺山脚本の舞台は何本か観たが、短歌ほどの強い印象は受けなかった。映像作品もビデオなどで入手したが、芝居同様さほど琴線に触れるものではなかった。私にとって寺山はあくまで文人なのだ。
 高校国語科に、かつて工藤信彦さんという大先輩の名物教師がいらした。知性とエネルギーに溢れた魅力的な授業を展開され、かつ受験の分野でも大学入試の予想問題を何度も的中させるなど、新聞・テレビでも取り上げられていた。卒業生の中には強い影響を受けた方も多いのではないだろうか。
 その工藤さんが生徒達に「キミたちには寺山を読まない自由などない」ということをおっしゃっていた。少年が青年に成長していく時に感じる葛藤。甘酸っぱい想い。ほろ苦い経験。現実と理想との乖離。大人社会への不信。そういう様々な感情を味わい、闘い、乗り越え、大人の世界と折り合いをつけていく。かつて青年になるとはそういうことだった。寺山はその年齢の心の内を細大漏らさず表現している。「寺山を読まない自由はない」という工藤さんの言葉はまさに高校生に向けたエールなのだ。
 今でも闘いながら成長を遂げる子供たちはたくさんいる。しかし状況は変わりつつある。処理しきれぬ情報が氾濫している。転ばぬ先の杖を親が与えすぎる。学校は臆病になるしかない。その結果、一方では幼い時から葛藤もなく大人のズルさだけを身につけてしまう少年たちが増えた。他方では成長する苦しみから逃れ、いつまでも大人社会と折り合いをつけられない青年たちが増えた。その両極端がどんどん肥大化する。どちらも闘わず、心を震わすこともなく、年を重ねてしまうのだ。

振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない
 かつて大人気を誇った競走馬ハイセイコーが引退した時に競馬好きの寺山が書いた「さらばハイセイコー」という詩の一節である。(増沢騎手が唄ってヒットした同名の曲とは別モノ)現代の若者にこそ寺山修司の言葉が必要だ。それを武器に大人になるための闘いを始めよう。