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  • 2014.03.10

    出たとこ勝負 58 梅組の謎 もしくは さらば富望荘

    出たとこ勝負

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 中学校の玄関を入り、階段を昇る。三階に着き、右に曲がる。これが梅組だ。1年生、他の7クラスは全て左に曲がって教室に向かう。
 2月下旬、梅組の担任が言う。「うちのクラス、今頃インフルが増えてるんです」。出た、これが梅組だ。「やっぱりねぇ。あの見えない壁って大きいよなぁ」と私。
 今年のインフルエンザの流行は1月の終わりごろにピークを迎えた。2クラスが学級閉鎖となり、その後は、入れ替わり立ち替わり休む生徒はいたが、集中することがないままやり過ごせた。なのに、梅組にはひと月遅れのピークがやってきた。梅組と他のクラスとの間には小会議室がある。あとの7クラスは隣り合ったり向き合ったりで、くっついている。この8mほどの隔たりは中1にとってはでかいのだ。
 私が梅組の担任だった頃、中1の教室はまだ1階だった。しかし状況は同じで、玄関を入って右に曲がるクラスは梅組だけだった。梅組には流行が遅れてやってくると実感していた。インフルエンザだけではない。遊びも噂も悪さもワンテンポずれて広がるのだ。
 だから、注意深く他クラスを観察していると次に何が起きそうかということを梅組の担任は察知することができる。中2の楓組、中3の桂組も学年で唯一右に曲がるクラスだが、もう他のクラスとの違いは見当たらない。つまり中1というのはそれほどデリケートなのだ。見逃してしまうような小さな違いがキチンと生活に響いてくる。

 海の学校で富望荘に宿泊をしなくなった年、こんなことがあった。当時水泳部の顧問だった私は愕然とした。夏合宿で中1が食事当番をやれないのだ。合宿は海の学校から2週間後におこなわれていた。初日の夕方、じゃあ1年生食事当番ね。毎年のようにそう言ってきた。それだけ言えば良かった。寮のおばちゃんがカウンターに出したお皿やお箸をテーブルに並べる。味噌汁やご飯をよそって配膳する。そんな程度の当番なのだが、彼らはボーッと突っ立って、動こうとしない。そうか。この子たち、海の学校で食事当番をしなかったんだ。何をすべきか学んでないのだ。
 宿泊場所を富望荘からホテルに変える。その検討は十分におこなった。しかし食事当番をやらないことの影響まで考えたかどうか。ホテルでの宿泊は確かに快適だ。食事もビュッフェスタイルで面倒がない。しかし快適さと引き替えに失っているものがやはりある。それは小さな経験かもしれないが、間違いなく生徒の成長とつながっている。やはり中1とはそれほどデリケートな生き物なのだ。

 3月2日、日曜日。取り壊された富望荘に別れを告げに行こうと、体育科が呼びかけて、教員有志やOBたちと20人ほどで富浦へのバスツアーをおこなった。瓦礫の転がる富望荘の跡地を眺めながら、私はぼんやりそんなことを思い出していた。