幼稚園生活

コラム「たいこばしくん通信」

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  • 2025.04.08

    卒園式 始業式

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成城幼稚園園長 石井弘之

 中高にいたころ学園内ブログで「出たとこ勝負」というページを持っていた。副校長のころは好き勝手なことを書いていたのだが、校長になってからは中高それぞれの卒業式・入学式で喋ったいわゆる式辞の原稿を掲載していた。毎年4本の6年分だからそれだけでも結構な数になる。仕事の中では好きな方だった。
 幼稚園では卒園式や入園式といっても、園児にはややこしい話は無理だから、何となく子ども半分・保護者半分みたいな中途半端で妙な内容になってしまう。それでも今回の卒園式と始業式はそれなりにあれこれ考えて喋ることができた。
 中高のときのように原稿を書いて読むという方式ではないので、こんなことを喋ったということを、少し大人向けに手直しして記録しておこうと思う。

チャンスは1回

 まずは3月17日卒園式だ。ホントに年長さんは立派だった。きちんとした態度、言われたことをひとつひとつ思い出しながら素敵に振舞った。練習の時、私は「卒園式って何回あるの?」と園児たちに問いかけた。もちろん答えは「1回」だ。みんなはこれから何十年も生きるけど、ながーい人生において幼稚園の卒園式はたったの1回、それほど大切な会なんだよ。そして人生で大切なことって卒園式に限らず1回しかチャンスがないことが多いんだ。だからカッコよくやろうぜ。
 例えばみんなはひな祭りで劇を演じた。お父さんお母さんの前で演じるのはたったの1回。二度と繰り返せない。
 澤柳記念講堂で開催された学園音楽祭では、大勢のお客さんの前で合唱を披露した。あれもあの日を逃したらやり直しはない。やっぱり大事なことって1回しかチャンスがないんだ。
 でも、劇の本番の日、みんなは突然上手に演技ができるようになったわけじゃないよね。みんなで相談しながら劇のストーリーを考え、役柄を決め、セリフが覚えられなくて何度も練習をし、声が小さいと担任から「事務室の金子さんにまで聞こえる声で!」とハッパをかけられた。そうやって努力した結果があの素晴らしい劇だった。
 今日の卒園式も同じ。「握手の時は園長の顔を見て」「歩くときは座ってるお友達のすぐそばを通る」なんていう練習を何度も繰り返した。そうやってみんなはキリっとした完璧な卒園式を作ってくれた。
 みんなは単に3年間幼稚園にいたから卒園するのではありません。「チャンスは1度きり」で「チャンスを生かすためにはたくさん努力する」という人生で一番重要な基礎を3年間かけてこの幼稚園で身につけた。だから卒園して良いんです。
なんていう話をしてお別れした。

新しい数え年

 次は4月7日始業式。この日は新年長と新年中だけ。まだ年少は入園前だ。
 数え年というのがある。生まれたときが1歳で、毎年誰もが新年に年を重ねるという考えだ。生まれた時が1歳というのはゼロの概念がなかったからだろうが、元日に年をとるというのは不思議な風習だなぁと思っていた。でも考えてみると社会的には極めて合理的だ。
 みんなはお誕生日にひとつ年を取るじゃん。でもお誕生日の前日と翌日で何も変わらなかったでしょ。同じところに通って、クラスも同じ。でも今日は違うよね。幼稚園の玄関を入ると、まず靴箱が3月とは違う場所になった。保育室も違う部屋だ。年中さんはクラス替えもあったからお友達も違う。担任も違う。そういう風に今日はみんなにとってひとつ大きく前に進む日なんだ。階段をひとつ上がるのが今日なんだ。お誕生日より今日の方が大きく変化している。しかもそれは成城幼稚園だけじゃなくて日本中で6年生が中学生になったり、大学を卒業した人が会社に勤めたりと、大きく前進するのがこの4月のはじめなんだね。ここから始まる新しい1年を素敵なものにしてくださいね。(ちなみに、この日がちょうど誕生日だという年長さんがひとりいた。その子は誕生日にまさに社会的にも年齢を重ねられるお得な存在だ)
 かつて日本は正月に大きな区切りがあった。それが数え年のベースだ。いまは4月の第一週あたりにそれが移った。だからその時期に全員がひとつ年を取ると考えた方が、社会的な観点では合理的だと思うのだ。現代的な意味での数え年だ。

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