幼稚園生活

コラム「たいこばしくん通信」

今回の「たいこばしくん通信」は特別編です。
彫刻家として活躍されている高橋智力先生から届きました。
写真は造形の指導にいらしたとき、智力先生が撮影してくださったものです。
年間を通した写真で、1学期は年少組のみ年齢を考慮してマスクはご家庭の判断での着用としていました。3学期現在は園舎内ではマスク着用としています。

ゲームチェンジャー

家のすぐ一歩外では疫病が流行り、さらに世界を見渡すと、そこには人々がお互いの認識の違いを指さし合いながら砲口を向ける姿があります。
すくすくと成長し、幼稚園に向かって毎朝子どもと手を繋ぎながら歩く今日から、ここで少し時間を遡ってみましょう。生まれたばかりの我が子を抱き上げ、互いに人生初の対面を果たした日を思い出してみてください。この生涯最良の日からわずか数年の間に、世の中のこの様な大きな変貌を一体誰が想像したことでしょう。

「現代社会においては、芸術に価値を見出し、芸術を大切に想う気持ちが大きければ大きい国ほど戦争から遠い立場をとっている」この辺りのことを実際に見てくると良いと思うよと、彫刻家である私の父が随分と前に話してくれたことがあります。
その頃、私は丁度スイスからイタリアへ活動拠点を移そうというタイミングで、とても記憶に残る話となりました。今でも父とは芸術について良くディスカッションをしますが、これといった根拠が無さそうな割には、真を射抜いている考え方だなと最近とくにあの時の話を思い返す機会が増えています。

今という時代を健やかに暮らしていく上で、大切な事がいくつかあるはずです。
そのいくつかの中に、一種の肌感覚として「芸術の本質的なものを、人生の最初の部分で取り込んでおく」ということも、是非リストに加えるよう検討してみてください。それは、多様性への理解をしきりに訴える大人達に囲まれて過ごす子ども達にとって、芸術的な感覚を持ち合わせることで、より自由に、より素直に彼らのコミュニケーション領域を広げる手段の一つになり得ると思うからです。

ゲームチェンジャー(Game Changer)という言葉に、聞き覚えがあると思います。2020年5月にストリートアーティスト、バンクシーによる同タイトルのドローイングが、インターネット上のサービス媒体を通じて全世界に向けて発表され、日本のニュースなどでも注目を集めました。
誰も思いもしなかった新しい何かの創造や、誰かという存在自体や行動がきっかけとなり、それまでの最適解とされていた『常識』が、全く別物の『常識』に置き換えられていく、もしくは置き換えられてしまった事に人々が気づく様なことが、現在の日常的な生活の中で実際に起こり続けています。

一方でこの数年の間がどんなにも早く、そして強い世の中の流れの中にあっても、ただただ変わらないものもありました。最も印象的だったもの、それは子ども達の笑顔です。次々に新しいことや、気になること、そして大好きなことを、この成城の学舎で楽しげに両手いっぱいに集める姿が、私の心に残っています。そんな彼らに「どんな活動要素を持ち込むべきか?」ということを考えた時に、私のイメージに浮かんだキーワードが、このゲームチェンジャーでした。

それでは、具体的にはどんな活動だったのかという話ですが、発想の逆転にいつでも能動的に対応できる思考や環境づくりを意識することにしました。
まず、思考の部分については、その日の教室全員で取り組むテーマに、それまでそれぞれの子ども達のなかで、どことなく方程式化しつつある「ステキな絵の描き方」にわざと変化を加えることで、表現の構築順序を逆転させる様な要素を少しだけ入れてみました。

ある日は、好きな色を自ら選び、それを好きな形に切り抜く。普段なら切り抜いて形となった方を別紙に糊づけして自分の表現を展開します。でもこの続きとして敢えて逆転要素となる、切り抜いた跡として穴が残っている方の画用紙を使って表現する形あそび。

またある日は、「もし、お空にお絵かきが出来るとしたら?」と投げかけ、一体どんな線の形になるのかという、今の常識ではあり得ない世界をみんなで想像してみました。そしてそのイメージを、今度は別の素材を用いて実際に表現することで、2D作品と3D作品それぞれの、表現の違いから来る面白さや不思議さを体験したワイヤーアート。

加えて、これらの作品の制作過程において「子ども達とどう接するか?」という環境部分の調律も心がけています。これは、子ども達の自由で柔軟な思考や創作を促す為にも、何よりも大切だと思っています。

他にも、あげればキリが無いくらいの調律部分があるのですが、例えばそれはとても些細なことにも当てはまります。普段簡略しそうな「糊づけ」の方法ひとつについても、ついつい『あまり糊を無駄にせず、適量を薄く、丁寧に糊づけ面に伸ばしながら塗ってから貼る』という当たり前のことを、なるべく簡潔に伝えれば済む話だと思いがちです。正解を大人が子どもの代わりに考え、答えそのものを一方的に子ども達に渡すことは、互いにとても楽な環境かもしれません。楽だから、正解として渡した方も渡された方も、ついそれが唯一の答えだと端的に結論づけ、やがて絶対にそうあるべきだと真面目にも思い込みがちです。

でもそれは、「学校教材の色画用紙と教室の中にある机の上での制作」という、世の中としては、むしろ極めて限定的な条件下でのことでしか無いということを、色々な制作現場に出向いてみると実感するはずです。糊を塗る対象物がものすごく長かったり、重かったり、大きかったりした場合に、その最適な糊の塗り方や量は変わりそうですし、室内でも美術作家のスタジオや、工場、学校でいえば体育館の中の様な特殊で広大な空間であったり、そもそもの制作場所自体が屋外であった場合でも、最適な手法というものは都度変わりそうなことに気づけるはずです。

この様に、ある条件下の中だけで成立している一つの正解を、唯一の正解と思い込み過ぎることで、思い込みの強さの分だけリスクが増える場合もあるかもしれないのです。それが顕著に現れるのは、その条件枠をぱっと突然外され一歩外に出た時かもしれません。これまでの正解に固執することで、運が悪いと余計に苦労するばかりか、楽しいはずの制作体験そのものが、いつの間にか苦痛となってしまうことすらあるでしょう。

だからこそ、幼稚園でのファーストコンタクトとして「他にも方法があるかもしれない」という予感を、子ども達には理屈ではなく感覚として持っていてもらいたいのです。
現状を見極めて、都度最適な答えを柔軟な思考で判別していく。
正解は常に変わっていき、ときにはその正解は唯一のものですら無いかもしれないのです。
大人が代わりに考えた正解までの道のりを確実にトレースする力ではなく、自分の目的に合致した正解にたどり着く力づくりの役に立ちたい。その原動力を養う手段として、芸術を子ども達に都合よく利用してもらいたいのです。

一冊の本を読み楽しむ時の大切な要素として、「行間を読む」という表現をすることがありますが、それ以前の話として一つの正解にこだわり過ぎるということは、文法や漢字を一語一句正しく用いられているかのチェックに追われて、本に書かれている内容が全く心に入ってこないまま、一冊の本を読み終えてしまう様なものです。
難しい漢字や難しい言い回しを読み飛ばしてでも、本の世界観に浸り物語に没頭することで得られる感動があります。そしてこの感動は、その瞬間にしか起こり得ず、それだけにとても貴重です。一方で知識は、子ども達がその物語を好きになってくれさえすれば、後からいくらでも自らの力で補填できる部分です。そしてその知識が加わったことで物語が変化するのかを確かめる為に、きっと何度も読み返すはずです。たくさん本を読む様に見えるこの所作は、きっと読む力があるからではなく、没頭するほどに読んだ感動から生まれた「読書が好き」という気持ちがあるからだと思います。

変わった糊づけ方法のおかげで糊が勿体なかったり、机が汚れたり、、、といった心配は、少なくともそれが幼稚園内であれば、全く気にすることは無いのです。それよりも、もっともっと目を向けてほしい気づきや感動が、目の前にあるのですから。

実際の教室の中でも、つけ過ぎた糊が一体どうなるのだろうと見守っていると、その余った糊が呼び水となって、意図しない色画用紙のピースが偶然貼り付き、その色の組み合わせや形の変化が、なんともいえない美しさを醸し出すことも珍しくありません。糊づけの方法ひとつをとっても、それぞれの方法で糊をつけたからこそ出会えた、「〇〇ならではの作品」というものに、仕上がっていくことが多いのです。

大人ですら想像がつかないこれからの世の中において、子ども達がそれぞれの道で元気良くクリエイティブに活躍する姿を見る日は、ひょっとしたら私が思っている以上に早く来るのかもしれません。
そんな想像をしながら幼稚園に向かう朝は、本当にワクワクが止まりません。

混沌と不安の世の中で、「変革の時が来たよ」と世界に伝えたのは一枚の絵でした。

ゲームチェンジャー。

私たちのいるこの場所が、未来を切り拓く人達の心地よい出発点となりますように。そして、そんな彼らと一番はじめに出会える私たちが出来ることを今日も考えています。

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