成城学園教育研究所

澤柳政太郎について

澤柳政太郎の東京帝国大学学生時代

澤柳政太郎は、幕末の慶応元(1865)年、信州松本藩の藩士、澤柳信任の長男として生まれた。幼時より神童ぶりを謳われていたが、身体は強健で餓鬼大将としてのエピソードも残されている。父の転職にしたがって甲府の徴典館、松本の開智学校、さらに東京師範学校附属小学校、東京府中学校、東京大学予備門などを経て明治17年、東京大学に入学、同21年7月に帝国大学文科大学哲学科を卒業した。まさに明治国家の骨格が形成される時期に青少年期を過ごし、近代教育制度の確立過程を身を以て体験したのであった。しかし家庭的には父の事業の失敗により貧しい生活を送っていた。この一方、漢学を修め、参禅も始めている。後に一代の名僧釈雲照に出会ってその十善戒の厳格な実行家となり、生涯にわたる仏教帰依者となるのである。また、この間の学友には、上田万年、岡田良平、日高真実、清澤満之、狩野亨吉らがいる。

文部官僚、学校長、大学総長を歴任

文部省の給費生であった関係から、帝大卒業後文部省に入り、やがて総務局報告課長、文書課長、記録課長、文部大臣秘書官、大臣官房図書課長等を歴任するが、明治25年11月修身教科書機密漏洩事件で引責辞任した。その後、清澤満之の勧めもあって26年9月、京都の大谷尋常中学校長に就任し、浄土真宗大谷派教学部顧問も務め、清澤とともに僧風の刷新に努めた。27年9月、同校を真宗第一中学寮に改組後澤柳は解職され、28年2月に群馬県尋常中学校長に就任した。この最初の文部省在職期から学校長としての時期は、年齢的には20代中頃から30代初めにあたるが、すでに『公私学校比較論』『仏教道徳十善大意』『心理学』『倫理学』『読書法』『格氏普通教育学』『格氏特殊教育学』『教育者の精神』『ぺスタロッチ』等々多くの著述を世に問い、教育学者・思想家としての資質の大きさを示しつつあった。また明治24年に結婚し、その後五男三女を儲けている。

明治30年4月、第二高等学校長に就任、翌31年7月には第一高等学校長に転じたが、同年11月、山県内閣の樺山資紀文相の就任に際し再び文部省に迎えられて普通学務局長に就任し、明治39(1906)年7月には西園寺内閣の牧野伸顕文相の下で文部次官となった。この2回目の文部官僚時代は、明治41年7月の次官退官まで約10年間におよび、文部行政の中枢を担って、中等学校制度改革、第三次小学校令の制定、国定教科書制度の制定、義務教育年限の延長、師範学校制度の改正等々の改革に参画した。また、文部省在官中から直後の時期には高等師範学校長、広島高等師範学校長事務取扱、高等商業学校・東京高等商業学校長事務取扱を務めている。

退官前に腸チフスを患い危うく一命を取り留めたが、恢復後の著述活動は精力的であった。実証的な教育学の建設を提起して日本の教育学史上記念すべき著作となった『実際的教育学』(明治42年)をはじめ、『教師及び校長論』『学修法』『退耕録』『我が国の教育』『孝道』や中学・高等女学校・実業学校の修身教科書などである。
明治42年12月、貴族院議員となり、44年3月には新設の東北帝国大学総長に就任、大正2年5月には京都帝国大学総長となった。しかし教授の任免権限と運用の在り方をめぐって総長と教授会が対立した「京大澤柳事件」により、3年4月退官した。同年7月文学博士。

澤柳政太郎

民間教育家として

退官以後はいわば民間教育家時代であり、臨時教育会議、臨時教育行政調査会、文政審議会、帝都復興審議会などの委員に就任するほかは官職に就かず、大正5年2月帝国教育会長となって教育界のオピニオンリーダーとして活躍した。大正6(1917)年4月には宿願である教育学建設のための実験学校として私立の成城小学校を設立し、校長となった。成城小学校は大正自由教育の中心的拠点校として全国から注目される存在となり、以後、七年制高等学校、高等女学校、幼椎園を備える一大学園に成長した。また、大正10年8月より約11ヵ月間にわたり、小西重直、長田新らと第一次世界大戦後の欧米教育を視察し、ダルトン・プランなど教育の新動向を紹介した。この視察旅行以降、澤柳は国民間の相互理解と国際協調をめざす太平洋問題調査会(IPR)、世界連合教育会(WFEA)等の活動に深く関わり、日本国際教育協会会長としても尽力した。この間、彼の発表した著作は数多く、その領域も教育論から宗教論、道徳論、歴史論、政治論、社会論などと幅広く、社会に大きな影響力をもった。

エジプトにて

昭和2(1927)年12月、外遊時に得た猩紅熱のため満62歳で死去。その著作の大部分は『澤柳政太郎全集』(全10巻、別巻1、昭和50年~55年、成城学園澤柳政太郎全集刊行会編、国土社発行)に収録され、同全集第10巻には澤柳の年譜と詳細な著作目録が、別巻には研究書誌目録が収められている。なお、澤柳の生前に還暦記念の『澤柳全集』(全6巻、大正15年、澤柳全集刊行会発行)、没後に『澤柳政太郎遺稿』(1巻、昭和6年、富山房発行)、『澤柳政太郎選集』(全6巻、昭和15年、第一書房発行)がある。

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