学園の歴史

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成城学園の歴史は、1917(大正6)年、日本教育界の重鎮、澤柳政太郎(さわやなぎ・まさたろう)が日本の初等教育改造を志し実験的教育の場として創った成城小学校から始まります。成城小学校最初の入学児童はわずか35名でした。
この成城小学校が最上級生の卒業を迎える1922(大正11)年、「教育の一貫」を願う父母の要求に応え、当時の主事、小原國芳(のちの玉川学園創立者)が尽力し成城第二中学校を開設しました。1925(大正14)年には東京都世田谷区の現在地に移転し、同年、成城幼稚園も開設しました。

1926(大正15)年には旧制7年制の成城高等学校が創られ、第二中学校はその尋常科(4年制)に組み込まれました。翌1927(昭和2)年には5年制の成城高等女学校を開設し、総合学園としての形が整います。この年、財団法人成城学園の設立が許可されましたが、戦後の私立学校法施行に伴い、1951(昭和26)年に学校法人成城学園となりました。

戦後の学制改革以降、旧制高等学校、高等女学校が廃止となり、男女共学の新制成城学園中学校、成城学園高等学校を設立しました。さらに1950(昭和25)年には成城大学を開設し、経済学部、理学部を設置しました。続いて、1954(昭和29)年に文芸学部、短期大学部、1977(昭和52)年に法学部を設置しました。

2007(平成19)年に短期大学部(短期大学)はやむなく53年の歴史に幕を下ろしますが、それに先立つ2005(平成17)年には日本で初めて「イノベーション」という言葉を冠した学部、社会イノベーション学部を設置し、大学は4学部となりました。さらに、4学部それぞれを基礎とする4研究科・10専攻から構成される大学院も設置しています。

こうして、1917年に35名の児童と澤柳政太郎の熱意で始まった成城学園は、総合学園へと大きく発展しました。そして2017年、本学園は創立100周年を迎えました。一世紀にわたって受け継いできた教育への情熱は変わることなく、時代の変化とともに進化していきます。
 

学園名の由来

『成城』という学園名は、中国の古典「詩経」の大雅の一節にある「哲夫成城」(哲夫城を成す)から取られています。
哲夫とは哲人、哲士とも言われ「道理をわきまえ、見識の優れた人」のことです。
「哲夫は城(くに)を形作るものである」という言葉から学園の名前が『成城』と名付けられました。