注釈

注1)澤柳政太郎は、1898(明治31)年から1906(明治39)年に文部次官に就任するまでの8年間にわたって初等・中等教育を統括する文部省の普通学務局長の職にありました。公立小学校の授業料撤廃、それまで4年であった義務教育を6年に延長した上の義務教育の徹底、小学校教科書の国定化等々、さまざまな改革を実現しました。

注2)成城高等学校(旧制)第一回入学式におけるこの訓示は、教育を受ける側のみならず教員にとっても、人間の生き方そのものに示唆を与える内容のものであり、以後「澤柳教書」と呼ばれ、創立者の理想がもっとも明確に訴えられたものとして、現在でも全校で読み継がれ、その精神が受け継がれています。

注3)1917(大正6)年4月の成城小学校の創設に際し、澤柳をはじめとする創立の同人は「私立成城小学校創設趣意」として、
 一、個性尊重の教育(附、能率の高い教育)
 二、自然と親しむ教育 (附、剛健不撓の意志の教育)
 三、心情の教育 (附、鑑賞の教育)
 四、科学的研究を基とする教育
の四つの綱領を公にしました。それぞれに詳細な解説が付してあります。
 「一」については、少数教育をおこない、目前の一人の生徒の能力から発想される教育をいい、たとえば「能力に応じて学課の進行を捗(はかど)らせ、余裕があったら教科書以外のものを教えて今より一層能率の高い教育をしたいものと思います」とあるように、一般的で抽象的な「個性尊重」を述べているのではありません。
 「二」については、都会の子女が通う学校として、ともすればひ弱に育つことを懸念し「児童固有の心身発育の過程を重んじ、なるべく児童をして遠き祖先の原始的生活を繰返さすことによって、心身の健全なる発達を図ります」と述べています。成城では初期のころから海の学校・山の学校を積極的に取り入れて自然教育に力を注いできました。
 「三」については、教員は何よりも子供を愛する人間であることが条件であるとし「子供の気分、興味、欲望を理解し同情し得る程の敏感な心を持っている者」であり、「心から心への教育」を先ず前提とした上で、「趣味の教育・鑑賞の教育」を行なうことを謳っています。この「趣味の教育」とはhobbyの教育ではなく感性を豊かにする教育という意味です。
 「四」については「教育的研究を実際(の教育)と一致せしめんと努め」、「理論化せる実際、実際化せる理論即ち真の意味の研究的学校を以て理想」としています。創立直後の成城小学校では同人による『研究叢書』が陸続として出版され、教育界に話題を投げかけました。

注4)方法論としての自学学習としてアメリカのヘレン・パーカストが開発したダルトン・プランの導入や、多教材提供主義などがあげられます。また、各教科の始期の研究、学校劇の導入などが行なわれました。