第73回高等学校卒業式 式辞・送辞・答辞

学校生活

第73回高等学校卒業式 式辞・送辞・答辞

少々、お時間をいただきましたが、3月10日(水)に行われた、第73回高等学校卒業式の式辞・送辞・答辞の全文を公開いたします。 今年度は、密を避けるため式の会場には卒業生と教職員のみ、残念ながら保護者と在校生の参列は見送らせていただきました。すでに式の様子はご紹介いたしましたが、式辞・送辞・答辞には保護者の方や在校生に向けてのメッセージも含まれておりますので、ぜひご一読ください。

校長 式辞

 みなさん ご卒業おめでとうございます。
 そして、声は届かないかもしれませんが、今日、参加いただけなかった保護者の皆様にも、あらためて御礼、申し上げます。ここまで、本当にありがとうございました。

 みなさん、例年と違う状況の中で、人生の進路を決めていく高校3年生という時間を過ごていくことには、難しい側面が沢山あったと思います。しかし、時は流れ、季節は動き卒業式となりました。今日、みなさんが、成城学園でのこれまでの日々を振り返り、その中に、成長の跡を見つけることができれば、それは私たちにとっても、とても嬉しいことです。みなさんが高校生としての生活を振り返るとき、その中には、大なり小なり、失敗もあったと思います。もちろん、こうした失敗や過去を振り返ることは大切ですが、過去にとらわれないことも大切です。現在・そして将来を大切にすること、それが、過去を振り返る意味だと思います。
 
 そんな皆さんが、現在と将来を大切にできるようになるために、去年、出会った一つの言葉を紹介したいと思います。それは、三木清という哲学者の本の中で見つけた一言なのですが、
「すべての人間の悪は孤独であることができないところから生ずる」
というものです。 
 
 言葉は、どんな文脈で使われているのか、前後につながる文章によって意味が変わってきますが、彼は、この言葉を、今から80年ほど前に出版された人生論ノートという本の「虚栄について」という章の中で使いました。
 虚栄、言い換えれば、見栄、うぬぼれ、見せかけと言う意味で、いずれもあまりよい印象の言葉ではありません。人が、その人の持つ実力以上の存在であることを示そうとすることだと思います。
 もちろん、人が、他人から良く思われたいというのは、自然な感情です。
 また、他人の評価をすべて無視することは、間違っています。そもそも、すべての他者の評価を無視して何かをすることは、人間が人間である以上できないでしょう。そして、人間が、他者と関わらなければ生きていけない以上、虚栄やみせかけを作ることからは逃れられないでしょう。

 ましてや、言葉の印象は、悪いのですが、時として、見栄を張りながら「理想の自分」を求めるという意味では、向上心にもつながることもあり、若いみなさんにとっては、単純に悪いことだとは言い切れません。
 
 しかし、その一方で、ただ単純に、他人に勝つこと、他人より上の立つことだけが目的となって、見栄をはりはじめれば、その人は、虚栄に覆われた中身が小さな存在になってしまいます。さらに、中身がなくなるだけでなく、他人をおとしめたり、傷つけたりする心が生まれてしまいます。ここで、虚栄と悪が結びつきます

 他人と自分を比べてみたり、他人からの評価のために生きるのでなく、自分自身が、これが大切だということを人生の中で見つけて、それをなしとげるために努力すること、これこそが人生を豊かにする生き方だと思います。
 ところが、どうしても、他者との関係の中で自分を位置づけてしまい、そこに悪の芽が生まれるというのです。
 だからこそ、卒業式の場にはふさわしくないかもしれませんが、「すべての人間の悪は孤独であることができないところから生ずる」という言葉について、あえてこの場で、語ろうと思った意図は、これからの時代に生きる皆さんに孤独との付き合いかたを再認識してほしいからです。
 
 今、これだけ情報化社会と呼ばれる時代になり、さまざまなSNSが発達している現在、孤独自体が悪いことのように思えてしまうことがあります。個人が消滅して全体の中に溶け込んでしまうような錯覚すらおぼえてしまいます。そんな中で、何も考えずに生活していると、SNSで、いいねという評価を得ることが日常生活の目的になってしまったり、流行やファッションという誰かが作った「しかけ」にとらわれてしまい、ただ、マネをすることで安心し、中味が空っぽな状態に気づかずにいるということがおこりがちです。たしかに、昔に比べると、便利になりました。ただ、このままだと、幸福かどうかが自分で判断できない世界になってしまうんじゃないかなと思うのです。

 そして今、まだ、緊急事態宣言が明けず、さらに、コロナ禍が終わったとしても、私たちのまわりから様々な問題がなくなるわけではありません。
 日本の少子高齢化、大規模な気候変動、海洋汚染、国境を超える桁違いのゴミの問題、どれ一つとして、解決の目処は立っていません。

 大人の一つの義務は、子供たちに、明るい未来や平和な世界を残していくことだと思いますが、結局、いつの時代も、大人は自分のことで精一杯で、次の世代のことを第一に考える余裕がありません。その時、その時、正しいと思ったことをやり続け、それが、後から大きな誤りだとわかり、問題はどんどん複雑になっていきます。

 そんな時代の中で、次の大人である、みなさん一人一人が、できるだけ幸福な人生をおくるための基本として、孤独に対して平然と立ち向かえるような人間になることが必要なのだと思います。そして、これは、どんどん難しくなっていきます。
 みなさん、顔をあげてください。そういつの時代だって、顔を上げて、将来を見ること、そして、多くの出会いの中で、たくさんの知識を身につけ、自分自身で考えること、これを続けていくこと以外に、解決策はないように思います。どうか皆さん、自分という個性を大切に、さらに成長していってください。

 令和3年3月10日

在校生 送辞

 寒さも和らぎ、吹く風にも春の訪れを感じられる季節となりました。3年生の皆様、ご卒業おめでとうございます。在校生一同、心よりお祝い申し上げます。
 皆様は、成城生として過ごしてきた日々をどのように振り返っていらっしゃいますか。秋になると黄金色に染まる銀杏並木。何度も上り下りした大階段。光溢れるカフェテリアで食べた看板メニューのオムライス。人工芝の第1グラウンドで思い切り走ったこと。短い休み時間ぎりぎりまで友達とおしゃべりをしていた廊下。肩を組んで笑い転げた日々。今、数えきれないほどたくさんの思い出が頭の中を駆け巡っているのではないでしょうか。
 そんな先輩方が最高学年として、集大成ともいえる時間を迎えようとしていたとき、新型コロナウイルスが猛威をふるいました。私たちの日常は一変しました。今年度は他に類を見ない異例の1年となりました。突然学校が休校期間に入り、先の見えないまま過ごした日々は今でも忘れることができません。しかし、約3か月間学校が再開せず、その後も分散登校などが続いた状況の中、不安や混乱に屈することなく、その時にできることに全力を注いでいた先輩方。学校が再開してからの先輩方の姿は凜々しく見えました。一方で、休校や分散登校の期間が長引いたことや、ソーシャルディスタンスという距離感によって、先輩方とのお別れが想像以上に早く訪れたことが信じられず、さみしい気持ちがこみ上げてきます。
 学校生活の中で先輩方は様々な場面で私たちを支えてくださいました。部活動では、先頭に立って私たちを導いてくださいました。飛翔祭や文化祭をはじめとする行事では、毎回笑顔でリーダーシップをとってくださいました。私の所属する文化部連合でも、各部が活動しやすいように連携を図ってくださいました。日々の生活の中で、先輩方が一つの目標に向かって努力し、いつも優しく時に厳しく私たちを指導してくださったことや、共に喜び、時には涙したことも、すべてが今では大切な思い出となっています。
 さて、今年度の文化祭は11月に例年行われているような学園全体ではなく、中学校高等学校単独で開催されました。しかも、例年は保護者や一般の方の参加も可能でしたが、コロナ禍の影響により、生徒のみでの開催となりました。企画段階から文化祭当日まで、密を避けるなどの様々な制約がある中で、先輩方はできる限りのことを皆で企画し、悔いのない文化祭にしようと努力なさっていました。私たちは、そんな先輩方の前向きな姿勢に何度も後押しされました。そして、例年に劣らない素晴らしい企画や展示で、笑顔に溢れた文化祭になりました。生徒や先生方をはじめ学校全体が華やかな雰囲気に包まれていたことが、印象に残っています。最後まで諦めずに仲間と共に行動すれば、どんな状況でも輝けるということを教えていただきました。
 今、私たちの社会は、コロナウイルスの影響でニューノーマルと呼ばれる機会が多くなりました。世の中の流れが一変し、今までの「当たり前」が当たり前ではなくなった、激動の1年でした。加えて、新しい生活様式の普及が急速に進んでいます。これらの変化をどのように乗り越え、またいかに適応していけるかが求められています。そんな社会の転換期を経験している先輩方は、今後も物怖じすることなく前を向いて進んでいかれることでしょう。「自学自習」「自治自立」の精神を尊ぶ成城学園高校で培った経験や能力、そして強い絆と挑戦する心を、将来きっと様々な場面で発揮なさることと思います。
 先輩方はこれから、それぞれ新たな道に進んでいかれることと思います。時には道が険しく、くじけそうになったり、不安になったりすることもあると思います。そんな時は、共に過ごしたかけがえのない仲間、私たち後輩、そして先生方の笑顔を思い出してください。先輩方はいつまでも私たちの憧れです。これからも私たちにとって、輝き続ける存在でいてください。私たち在校生も、先輩方のように挑戦する心を忘れずに、よりよい学校を作っていきます。
 最後になりましたが、卒業生の皆様のさらなるご活躍をお祈り申し上げ、送辞とさせていただきます。

 令和3年3月10日

卒業生 答辞

 仙川に沿って並んだ桜が蕾をふっくらと色付かせ、静かに春の訪れが感じられる季節となりました。今日という良き日に、このような式典を設けて下さった諸先生方、関係者の皆様に、卒業生一同、心よりお礼申し上げます。このような形にはなりましたが、今日、卒業を迎えられたことを嬉しく思います。
 3年前、成城学園創立101周年という年に私達は高等学校に入学しました。入学式では、学園中学から進学した私も緊張したのを覚えています。しかしみんなとはたちまち打ち解け合い、不安は一気に期待へと変わりました。1年生の10月には100周年記念合同体育祭が開催され幼稚園から大学まで大勢の成城ファミリーと汗を流しながら、クラスの絆を深めることができました。

 私の高校生活は、飛翔祭なくして語ることのできないものです。団長を務めることが決まったのが2年生の9月。3年生の6月に開催予定であった第4回飛翔祭に向けて、スポーツ成城や担当の先生方と協力して、準備を続けてきました。
 今年度の飛翔祭の「夢」というコンセプトは、話し合いの中でまるで運命のように出逢ったコンセプトでした。私達団長は、わかりやすく、心躍るような、そして私達7人だからこそ実現できる飛翔祭を目指して、まずは団長のキャラクター設定から決めることにしました。チームメイトが一丸となって熱中できる設定はなんだろうと考え、悩みに悩み、私はパフォーマーというキャラクターに辿り着きました。団長7人がそれぞれの希望を出し合い、話し合いを重ねて全員のキャラクター設定が決まった時、そこには「夢」という運命的なコンセプトが出来上がっていました。
 しかし、順調に思えた私達の準備は、すぐに中断を迫られました。現在も猛威を振るい続けている新型コロナウイルスがちょうどその頃日本に姿を見せ始め、感染拡大の影響で学校は休校となり、飛翔祭の延期が決まったのです。学習だけでなく、部活動やいくつもの学校行事の予定が崩れ、人類が見えない恐怖と戦う生活が始まりました。しかし、私達は「夢」という舞台を追い続けました。
 開催が今年度の9月に決まり、団長や実行委員は、この状況下でも全員が楽しいと思える飛翔祭を目指しました。接触を避けながら全力を出し切れる方法を一から考えるのは、途方もない作業であったと同時に、泥臭くやりがいのある仕事でした。
 私の心の支えとなってくれたのが、協力的に行動してくれたたくさんのクラスメイトです。団長は飛翔祭の運営自体にも関わりますが、最大の仕事はチームをまとめ、盛り上げることです。積極的に準備に関わってくれた友達のお陰で、本番が近付くにつれて各学年の士気が高まり、団長としての本番のパフォーマンスにも一層気合いが入りました。クラスメイトから多くの指摘を受け、ひとり夜の公園で練習したダンス。オープニングセレモニーで全校生徒の前で踊ったあの景色は、きっとこの先一生忘れることはないでしょう。7色それぞれに「夢」が溢れた、最高の飛翔祭になったと確信しています。

 飛翔祭の他にも、私は大学受験や部活動に力らを注ぎました。受験勉強では、成績の面で伸び悩むことも多く、やめたくなることも多々ありました。しかし、優秀なクラスメイトの背中や、切磋琢磨し合う仲間の姿を見て、最後までやり切る勇気をもらいました。そのおかげで試験当日まで走り抜けることができ、私は成城学園の学習環境に心から感謝しています。
 また、日々練習に明け暮れ、日常生活の一部になっていた陸上競技部での経験は、私の心を内側から豊かにしてくれました。2020年は、高校野球や国体、インターハイ、総合文化祭などをはじめとした、主要な部活動の大会の中止や縮小開催に伴って、多くの部活動が打撃を受け、努力の成果を発表する場を奪われました。私は、この特別な1年を後悔したり恨むのではなく、大切に心のうちに留めておくべきだと考えます。そして、この非日常の1年間を生きた精神力は、コロナ禍から抜け出した後、自分にとって大きな問題に直面した時に思い出し、立ち向かっていくための武器になると思います。
 コロナ社会で大切なものを失った人たちが口を揃えて嘆く言葉は、「当たり前であることのありがたさ」です。当たり前のように人と会い、食事をし、人と触れて感情を共有する。そんな人間として当たり前の行為が、当たり前に出来る世の中が再び来ることを、心から願っています。

 在校生の皆さん。皆さんには、私がかねてより大切にしている言葉を贈りたいと思います。それは、「時は金なり」です。この言葉には、時間はお金のように価値があり、限りがあり、惜しんで使うべきものだという意味があります。ただ、それに加えて私は、この言葉をこうとも解釈しています。「時間はお金のように、貯めた分だけ何かと交換できる」。お金を貯めて欲しい物を買うのと同じように、時間は費やした分だけあなたの欲しい物、なりたい姿に近づけてくれます。だから、時間に価値を見出したいなら、たくさん惜しんでたっぷり使ってください。あなたが何かに熱中し、真剣に取り組んでいれば、自分の理想と交換できるくらいの時間が、気が付けば貯まっているはずです。

 最後になりましたが、今私達がここに立てているのは全て、卒業までの3年間私達を支えて下さった先生方、職員の方々、そして保護者の方々のお陰です。心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。そして、輝かしい学園生活を一緒に作り上げてくれた同級生、先輩や後輩にも感謝の気持ちを持って、私達はそれぞれ新しい世界へと旅立ちます。成城学園高校という学び舎への誇りを胸に、これからも邁進することをお誓いし、私の答辞とさせて頂きます。

 令和3年3月10日

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