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  • 2019.04.08

    ブログ「出たとこ勝負」特別編 石井校長 中学校入学式 式辞

    出たとこ勝負

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 入学おめでとう。成城学園中学校高等学校へようこそ。教職員一同、みなさんの入学を歓迎いたします。

 先日、インターネット上のショッピング欄で、アウトドア商品を閲覧していました。その時、こんな広告が目に留まりました。
 「失敗しないキャンプ・アイテム」「失敗しないバーベキュー・ギア」という、うたい文句が踊っています。素早く火を点けることができ、焦げにくい仕組みになったバーベキュー・グリルや、屋外でも簡単にお米が炊ける鍋などが紹介されています。
 若かった頃キャンプをときどきやっていた私から見ると、確かに便利そうな道具が並んでいました。ついでにインターネットであちこち調べてみると、「失敗しないキャンプ道具」なんていう本まで出版されていることを知りました。
 しかし私は便利そうだなと思う反面、何だか違和感を抱くことになりました。
 これまで遠足などで何度も生徒たちとバーベキューをやったことがありますが、予想外のことが次々起こるのがとても楽しかったと感じています。なかなか炭に火が点かなくて、体中が煙臭くなったり、目を離したすきに肉が真っ黒焦げになってしまったり、せっかく沸いたお湯をひっくり返してしまったり、そんな思い出がたくさんあります。逆に巧く行ったことはそれほど記憶に残っていないのかもしれません。
 自然の中で過ごすことはとても気持ちが良いですよね。でもその気持ちよさの中には人工的なものと距離を置くということも含まれているはずです。簡単に着火できて、綺麗に調理することだけを望むのなら、わざわざキャンプでバーベキューなどしないで、家で最新式のコンロを使えば良い、という風にも思えます。電子レンジやIHコンロなら火を使う必要すらありません。私が感じた違和感というのは、そこのところです。「失敗しない」ことが最大の目標だというのならば、キャンプなんかやめてしまえ。そんな感じを持ったのだと思います。
 成城学園では中学2年生で「山の学校」があります。その準備のところで生徒に話をすることがありますが、その中で私は「不便を楽しもう」ということをときどき言うようにしています。登山の時には自分で背負う荷物しか持っていくことはできません。しかも荷物を重くしては歩くのが大変になるので、最低限の物しか詰め込めない。
 私たちの日常は便利な道具に囲まれて生活しています。でも良く考えてみたら、人類の歴史の中で、大概の道具は、それがなかった時代の方が長いはずです。私が子供の頃にはスマホなんてもちろんありませんでしたが、それどころか固定電話でさえ持っていない家庭の方が多かった。テレビも似たようなものですし、エアコンだってなかった。
 キミたちは、もうそんな時代には戻れないわけですが、せめて登山やキャンプの時くらいは、普通の日常を捨てて、ナマ身の人間がどうやって生きてきたのかを味わってくれたら良いのになぁと思います。
 人間は道具を作る能力によって、ここまで発展してきました。でもナマ身の人間はおそらく1000年前・2000年前とほとんど変わっていないでしょう。だとしたら便利さをいったん取り除いた自分というものを実感するというのも大事な体験だと私は思いますし、それにはキャンプや登山はちょうどよい機会だと言えるでしょう。全てを取り去った自分が何者であるか、考えるきっかけになると思います。

 さらに私の抱いた違和感には別の側面もあります。私はこの「失敗しない」という発想が日本の人々の空気を支配していると感じることがあります。そのことで息苦しい社会になっているようにも思えます。
 このあいだ、ベトナム人の英語の先生と話をしていたら日本人の生徒は間違えることを恐れますね、とおっしゃっていました。とりあえず何とか言いたいことを通じさせようと単語を並べるようなことはせずに、黙ってしまうのだそうです。間違ったことを言ってみんなに笑われたらどうしよう、ということばかり気にしてしまうのでしょう。
 確かに私にもそういう面があると認めます。日本人が周りにいないときには、私もめちゃくちゃな英語でけっこう会話をしたりすることもあるのですが、日本人が近くにいると、特に英語の先生なんかが側にいると、恥ずかしくてそれができない。校長があんなデタラメ言ってるよ、と思われたくない。失敗することを恐れてしまいます。
 以前、中学1年生の保護者の方と話をしていて驚いたことがあります。中1では「海の学校」という楽しい行事があるのですが、その方のお子さんは水泳が苦手だったので、わざわざ「海の学校」の対策として、入学前にスイミングスクールでトレーニングをさせたというのです。自分の子供に、泳げなくて恥ずかしい思いをさせたくなくて、とおっしゃっていましたが、私には「海の学校」でみんなに助けてもらいながら泳げるようになるという感動の体験を味わうチャンスを逃してしまったように思えました。
 応援ソングに良く使われる「負けないで」という歌がありますが、そこにも失敗を前提とした発想があります。いったん負けるかもしれないということを想定したうえで、それを止める・それをさせない、という発想です。失敗しないように、というのと同じ考え方と言えるでしょう。勝て。頑張れ。と意味は同じでも言葉の裏にある方向性は正反対であるように思えます。
 「失敗しない」「負けない」「間違えない」これが日本人の考え方の基礎になっているようです。そこには「失敗すること」「負けること」「間違えること」に対する恐怖心が潜んでいます。
 先日読んだ本にもこんな指摘がありました。会社を馘首になる時の話で、大人の世界の内容ですから、みなさんにはピンと来ないかもしれませんが、想像しながら聞いてください。
 日本では会社を馘首になると、大概の人はものすごく落ち込んだり、怒ったりするそうです。それは馘首になるということが、お前はダメな人間だと全人格を否定されるように感じるからだそうです。ところがアメリカでは、馘首になってもそれほど気にはしないらしい。それは、この会社とは合わなかったなぁ、もっと自分に合った会社を見つけよう、と限定的に受け止めるからなのだそうです。
 会社を馘首になることが人生最大の大失敗と考えるのか、次へのスタートと考えるのか、ずいぶんと受け止め方が違うようですね。
 キミたちは、この成城学園で6年間過ごすことになります。たくさんの授業を受け、たくさんの行事に参加し、部活動に入る人もたくさんいるでしょう。休み時間や放課後にはたくさんの友達と楽しい時間を過ごすことになります。それらは全てチャレンジでもあります。自分の苦手な勉強に取り組まなくてはならないこともあります。人間関係の嫌なことにも直面するかもしれません。でも、そういうときこそ人間が成長するチャンスなのです。失敗を恐れて、チャレンジをやめてしまっては、成長も止まってしまいます。
 音がはずれたって良いじゃないですか。ビリになっても良いじゃないですか。ミミズの這ったような字だと言われても良いじゃないですか。思いっきり振られても良いじゃないですか。歌わないより、走らないより、書かないより、好きだと打ち明けないより、ずっと楽しい人生が待っています。
 失敗を恐れず、チャレンジしよう。そのための6年間です。失敗しながら成長する6年間です。そういう学校をここに用意しました。それを生かすも殺すもキミたち次第です。

 保護者のみなさま。お子様のご入学おめでとうございます。また成城学園をお子様の進学先としてお選びくださったことに感謝いたします。ありがとうございます。
 今日からの6年間で、お子様がもともと秘めていた力をできるだけ、引き出せるよう教職員一同頑張ってまいります。色々な場面でのご協力ご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
 先ほどの話で申しあげましたように、お子様には様々なことに挑戦できる6年間であって欲しいと願っています。保護者の皆さまも、小学生時代とは少しスタンスを変えて、お子様に任せる部分を多く作ってあげてください。親も教師も待つのがツラくて、すぐに助け船を出したくなるものですが、グッとコラえて、お子様たちが挑戦者として自分の力で成長していくことを優先して考えようではありませんか。
 さあ、みんな。入学おめでとう。成城学園中学校高等学校へようこそ。一緒に有意義な学校生活を作り上げていきましょう。以上。