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  • 2019.03.11

    ブログ「出たとこ勝負」特別編 石井校長 高等学校卒業式 式辞

    出たとこ勝負

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 先日NHKの番組「チコちゃんに叱られる」を見ていたら、こんな内容が放送されていました。それは「校長先生の話が長いのは、もとになる本があるから」というものでした。番組ではそのネタ本と、それを使って実際に生徒に話をしている、ある学校の校長が紹介されていました。私はそういう本があることはもちろん知ってはいましたが、そんな本を読む方が面倒くさいので、利用したことはありません。
 校長になって、中高の入学式や卒業式で話をするようになりましたが、今日で19回目ということになります。もちろん内容はオリジナルなのですが、その分、独りよがりだとか、ピント外れだとか、ご批判をいただくことになります。でもオリジナルですからその責任は全て自分で背負おえば済むので気楽です。もとになる本がなくても、校長の話は長いものだと諦めて今日は聞いてください。

 シリアで3年4か月に渡り、武装勢力に拘束されていたジャーナリストの安田純平さんが昨年の10月に解放されました。まだ半年前のことですし、ニュースで大きく取り上げられたので、覚えている人もいることでしょう。
 その時に話題になったのが「自己責任」という言葉です。
 簡単にまとめると、危険だとわかっていたのに、シリアに取材に行き、捕まってしまったということは安田さん自身の責任であり、わざわざそれを助けなければいけないのは迷惑な話だという内容です。自業自得と言い換えても良いでしょう。これに対しては、ジャーナリズムの重要性や人質ビジネスの実態などをもとに、様々な賛否が飛び交いました。
 私は安田さんがジャーナリストとしてどのようなお仕事をされていたか、たいして知りませんし、シリアには興味がありますが、どのような場所か行ったことがありませんので、無謀だったのかどうか、それもよくわかりません。ただ、外務省や大使館は海外にいる日本人の安全を守るのが仕事ですから、危険に晒されている日本人がいれば、それが仕事のためだろうが、遊びのためだろうが、そんなことは無関係に助けるために努力するのは当然だと思っています。
 私自身も旅行が好きで海外にも時々行きますが、以前パキスタンの山奥でバスを降ろされてしまった時には本当に途方にくれました。その時は自力で何とかなったのですが、いざという時、誰かに、あるいは公的な機関に助けを求めなくてはならないこともあるだろうな、と心から思いました。
 でも今日はそういう話をしようと思っているのではありません。「自己責任」ということについて、この安田さんの事件をきっかけに私が考えたことを聴いてもらいたいと思っています。

 そもそも、一人ひとりの人間にとって、自己責任でない行動ってあるのでしょうか。
・単語テストの前日についついゲームで時間を使ってしまい、ひどい点を取ってしまった。
・ラグビーの試合でボールを受け取った時、突っ込めばトライできたのに、パスしてしまった。
・こっそり教室でスマホを使って、生活部の先生に取り上げられてしまった。
どれも自己責任ですよね。大人でも同じです。
・トラックの運転手さんがお酒を飲んで運転し、事故を起こしてしまった。
・雪山登山で雪崩に飲みこまれて大けがをしてしまった。
・政治家に賄賂を渡して優遇してもらったのがバレてしまった。
という具合に自分から能動的に行動した時、それは自己責任としてその結果を受け入れるしかないのは当然のことです。今は失敗した例ばかりを取り上げましたが、成功も含めて、自分の行動が生んだ結果については自分が背負っていかなくてはなりません。ですから、自分が行動を起こすとき、全て自己責任だという覚悟を持たなくてはいけません。

 では、こんな例はどうでしょうか。
・高級車に乗っていたら、いつの間にかイタズラされ、ボディを傷つけられてしまった。
・可愛らしい服装で電車に乗っていたら、痴漢にあってしまった。
単純に考えれば、この二人は被害者です。悪いのは車に傷をつけた人、痴漢をおこなった人、というのは当然のことです。
 ところが、こういう時、必ずこんなことを言う人が現れます。あんな高級車に乗るから悪いんだよ。あんな服を着て男の目をひこうとしたからさ。自業自得だね。という意見です。
 大切な車を傷つけられた人の気持ち、痴漢にあった嫌悪感、そういう被害者の気持ちを考えずに、あたかもその出来事が起きるのが当然であったかのごとく批判する。そういう人たちが必ずいます。
 安田さんに対して非難を浴びせている人たちの中には、これに類しているような感覚を持っている人がいるように感じてしまいます。その根底には嫉妬や羨望の気持ちが隠されているように私には思えるのです。
 高級車に乗っている人を羨む気持ち。可愛らしい服装が似合う女の子を妬む気持ち。それが、加害者ではなく、被害者を批判する原動力となってしまう。
 戦場ジャーナリストが憧れの職業だというわけではないでしょう。ですが、日々、気の向かない仕事にあくせくしていたり、ありきたりの平凡な毎日を送ったりしている人から見たら、自由に海外を飛び回り、あたかも冒険者のごとく危険とスリルを味わえる職業が、羨ましく思えることだってあるかもしれません。そんな時に、捕まったのは自己責任だろ。オレたちが払った税金でそんな奴を国が助ける必要なんてないよ。というような発想が生まれてくるのだろうと思えます。
 安田さんは確かに危険だとわかっている場所に自分の意志で行きました。ですから自己責任がないはずはありません。死ぬ恐れがあるとわかっていて雪山に登るのと同じです。ですが、同時に彼は明らかな被害者でもあります。3年4か月もの間、自由を奪われ拘束され、いつ殺されるかもしれない恐怖に怯えて過ごしてきました。こんな目にあうことが許されていいはずがありません。自分の行動に対して十分な代償をすでに払っています。彼を捕えていた武装集団こそが加害者であることは明らかですし、読みが甘かったという以外に、安田さん自身が間違いを犯したというわけではありません。
 普通、人は明らかに責任のある相手には「お前の責任だ」とは言いません。わざわざ自己責任だ、と人が口にするのは、責任がないかも知れない人を責めるときなのです。
 私は安田さんが解放されたニュースを聴いた時、あー、良かった。殺されずにすんで。と単純に喜びました。今それを思い返してみて、少しホッとしています。理屈抜きで、人は殺されない方が良い。死んでも仕方がないと考える側に自分がいなかったことに安心しました。
 2015年に同じくジャーナリストの後藤健二さんがシリアで武装集団に殺害されています。自己責任と声高に叫ぶ人たちは、安田さんも殺されて当然だと思っていたのでしょうか。
 自分が行動を起こすときには全て自己責任だという覚悟で臨むこと。同時に他人の行動を自己責任だと攻撃しないこと。私は単純なので、そんな人間でいられたら良いなぁと思っています。
 同時に、人を妬む気持ち・羨む気持ち、これは私の中にももちろんあるのですが、それが、人の考え方やモノの見方に非常に大きな影響を与えている。そこに気を付けていないと、自分もその罠にはまってしまう恐れがある。そんなことを安田さんの事件を眺めながら、考えていました。

 さて、皆さんは、今日、高等学校を卒業し、そういう自己責任が渦巻く社会へと出ていきます。もちろん大学に進み、これからも学ぶ立場にいる人が圧倒的に多いわけですが、すぐに成人を迎えますし、4年後にはほとんどの人が社会人になります。皆さんの行動はすべて自己責任として周りの目にさらされることになるわけです。皆さんも周りの人たちをそういう目で見ることになるでしょう。そんな時に、ちょっとの違いに一喜一憂し、嫉妬したり、羨望の目で眺めたりし始めた時に、できれば今日の話を思い出してください。

 まとめます。
・全て自己責任の覚悟で行動せよ。
・他人の行動を自己責任だとあげつらうな。
・嫉妬で目が曇っていないか振り返れ。
この3つが新たな世界に旅立っていく皆さんへの、はなむけのお願いです。すこーしカッコよく生きられるかもしれません。

 保護者のみなさま。お子さまのご卒業、おめでとうございます。まだまだ子供だとお思いになるでしょうが、素晴らしい一人前の人間に育った彼らを誉めてあげてください。また成城学園へのこれまでのご支援に感謝いたします。ありがとうございました。
 さて、旅立ちの時間です。卒業おめでとう。以上。