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  • 2017.10.23

    言葉の筋トレ26 やまとうたは人の心を種として万(よろづ)の言の葉(ことのは)とぞなれりける(古今和歌集仮名序)

    言葉の筋トレ 石井弘之

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第26回

やまとうたは人の心を種として万(よろづ)の言の葉(ことのは)とぞなれりける(古今和歌集仮名序)

紀 貫之

 現代語訳:和歌は、人の心をもととして、(それが)さまざまな言葉となったものである

(この言葉は西棟2階にあります)

 校長エッセイを始めるときタイトルがなかなか決まらなかった。副校長の時に書いていた「出たとこ勝負」はいくつかのクラスで担任として出していた学級通信のタイトルをそのまま流用したものだ。今回もその手で行くか、と決めたのが「言葉の筋トレ」である。
 中学の国語の授業を持っていたとき、ときどきお遊びで言葉に関する練習を課すことがあった。
例えば「木」のつく漢字を1分間で思いつく限り書け。
例えば自分の名前を動詞にしてその意味を書け。(石井る=年とっても暴飲暴食がやめられないこと)
例えば存在してない新しい漢字を作って意味を書け。
例えば正門から校舎までの道に名所っぽい名前をつけろ。などなど、バカバカしいけれど言葉の力を考えさせるお題に取り組んでもらった。もっと簡単に、ことわざや俳句などの暗記や小説の作者当てクイズのようなものを実施したこともある。そういう一連の練習を「言葉の筋トレ」と呼んでいたのである。
 私の国語の授業はお遊びが多かった。漢字テストも突然「ハイ、ここでスペシャル問題です」となる。漢字で「帽子」と書かせた後に「では、英語でも書きなさい」とか、漢字で「鉛」と書かせた後に「では、元素記号で書きなさい」とかいう質問を出す。だから漢字は10問なのに13点ついたりする。そのうちスペシャル問題の予想をする生徒まで現れる。結局こっちが遊んでもらっていたのだ。
 そう言えば、石井ゆかりさんという占星術師が以前から「筋トレ」というサイトを開かれているということを最近になって知人から教えてもらった。石井で筋トレじゃあパクってしまう結果になって申し訳なかったなと思ったが、まあ営業妨害にはなっていないだろう。ちなみに新校舎のロビーのライトは星座の形に並べてもらったので、あながち占星術と無縁ではないかもしれない。

 この古今和歌集仮名序は歌論の出発点のような位置づけにある、とんでもなく重要な文章だが、なんだかホンワカした感じを受けてしまう。冒頭の一文は種が成長して葉になるという、今ではありがちな比喩だけど、心の種に栄養や水分がたっぷりと与えられ立派に育ち、その証として詠まれた言葉の尊さが伝わってくる。
 冒頭の少し後にはこんな文も続く。
「力をも入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女(をとこをんな)の仲をも和らげ、猛(たけ)き武士(もののふ)の心をも慰むるは、歌なり。」
読解は難しくないが、現代語訳を示しておこう。
「力も入れてないのに天地を動かし、目に見えない鬼神をもジワーンと感動させ、男女の仲をも親しくさせ、威張ってる武士の心まで和ませるのは、歌なのだ。」何だか良いでしょう?って言いたくなる。
 言葉には人を貶めたり、傷つけたりする力も備わっている。しかしこの仮名序は言葉の明るい側面にだけ目を向けている。歌は平和への道なのだと。
 この時代って漢詩の方が偉いと思われていたのだけれど、日本古来の大和言葉、そして日本独自の文字として発展しつつあった仮名、それらの持つ魅力が後の時代に花開いていく未来をとらえている文章だと感じる。
 言葉の大切さは誰だってわかっている。でも忘れている。だから何遍でも言った方が良い。私たちの日本語は素晴らしい。どんなに心が複雑にこんがらがっても、必ずそれを表現できる言語だ。キミの心をどこまで羽ばたかせても大丈夫だ。日本語に任せろ。成城学園の生徒はしつこく日本語にこだわってほしい。