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  • 2017.09.27

    言葉の筋トレ24 Alles Reden ist sinnlos, wenn das Vertrauen fehlt.信頼が失われたならば、何を語っても意味がない。

    言葉の筋トレ 石井弘之

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第24回

Alles Reden ist sinnlos, wenn das Vertrauen fehlt.信頼が失われたならば、何を語っても意味がない。

Franz Kafka
(この言葉は東棟3階グローバルゾーンにあります)

 カフカの最も有名な作品が「変身」であることに異論はなかろう。しかし、ある朝グレゴール・ザムザが何に変身してしまったのかは、翻訳によってずいぶん違う。ザムザはUngeziefer になった。これはばい菌からネズミまで、さまざまな害を与える生き物を指す言葉だということを最近知った。
 いくつかは図書室の本から、いくつかはネット上からの抜粋だが、おおよそこんな感じの訳が多い。基本は虫である。「ものすごい虫」「馬鹿でかい虫」「薄気味悪い虫」「巨大な甲虫」「ばかでかい毒虫」…。その中でちょっと変わっているのが「ウンゲツィーファー(生け贄にできないほど汚れた動物或いは虫)」(翻訳:多和田葉子)という訳だ。すなわち原語の読みを片仮名で示し、辞書的な意味を記すという形だ。この作戦なら確かに忠実な翻訳ができる。作者の意図を単語のレベルでも伝える方法なのだろう。この場合「生け贄にできない」は重要だ。生け贄は無垢な存在にしか務まらない。
 しかしこの方法を突き詰めていくと、原書の単語のひとつひとつの辞書的な意味を羅列していくことになってしまう。コンピュータを使った自動翻訳に近いのではないか。
 学問好きの知的好奇心を満たすのには向いているだろうが、ワクワク・ドキドキを味わう、気軽な娯楽としての読書にはならない。私のような庶民的読者には不向きな翻訳だ。思考がしばしば途切れてしまって、内容に入り込みづらい。
 小説や映画の翻訳にはいろいろなバージョンがあると楽しいだろうが、一般人が求めているのは正確さより楽しさだ。
 「変身」を私が読んだのは大学生のころだったと記憶しているが、誰の翻訳だったかは覚えていない。そのときは芋虫を頭に思い浮かべながら読んだ。人間くらいの大きさのブヨーンとした芋虫に自分がなってしまった戸惑い。極限状態なのに滑稽。途中で天井などを這いまわる場面があったので、芋虫ではないかも、とも思ったが、最初に作られたイメージは変えられなかった。
 小説の多くは何らかの極限状態を描く。彼女にフラれる。病気になる。殺してしまう。大スターになる。夫に裏切られる。などの現実に起きそうなことから、宇宙人にさらわれる。男女が入れ替わる。身長が25mになる。平安時代にタイムスリップする。などのように現実ではありえない状況も小説なら自由自在だ。
 極限状態における心理や行動を見つめることによって、人間の不思議さ、哀しさ、狡さ、美しさ、危うさが浮き彫りになる。
 ザムザをUngezieferにすることでカフカは何を描いたのか。高校生なら読める。ぜひ挑戦してみてほしい。

 さて今回のAlles Reden ist sinnlos, wenn das Vertrauen fehlt.である。
Alles は全ての Reden は語ること sinnlos は無意味 Vertrauen は信頼 fehlt は行方不明
信頼がどっか行っちゃったら、話すことは全て意味がない、というようなことだろう。
 カフカはネガティブな人だったらしいので、「どうせ信頼のない私の言うことなんて誰も聞いちゃくれない」という気持ちでの発言だったのかもしれない。「いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです」なんていう言葉も残している。
 でも生徒諸君なら逆の読み方ができるだろうと思って壁に刻んでもらった。こんな感じでどうかな。
「信頼をなくしたら何を言っても無駄だ。だから信頼を裏切らないように生きていこう」
意訳しすぎ?