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  • 2016.11.29

    言葉の筋トレ13 天は自ら助くる者を助く

    言葉の筋トレ 石井弘之

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第13回

天は自ら助くる者を助く

(この言葉は西棟の2階にあります)

 校内を飾るたくさんの言葉を選ぶときに、いくつか気をつけたことがある。ひとつは、生きている作家の芸術作品からは採用しないこと。私は国語の教師なので、現代作家の詩や小説、漫画や歌謡曲などの言葉に一番なじみがあるし、生徒にとってもインパクトが強いことはわかっている。しかし、それを勝手に使うのはやはり失礼だ。それに現役の商品という側面もある。といって、著作権料を支払って使わせていただくというのも、何だか趣旨にそぐわないと考えたのだ。
 それから政治家の言葉や特定の宗教の言葉も使わないように気をつけた。成城学園の自由な校風というのは政治勢力・宗教団体・企業などからきちんと独立している存在であることによって保障されている。だからどこかに偏っているかのように思われないことが大事だと考えたのだ。
 宗教という点では私には信仰心がない。何教の信者でもない。しかし神を信じる人たちのことを尊重する気持ちはかなり強いと思っている。旅行好きのせいで、いろいろな場所で命を懸けて神を信じる人々を見てきたからだろう。ネパールの寺院ではお祭りのタルチョー(祈祷旗)を飾る手伝いをした。ラマダン中のチュニジアを旅したこともある。パキスタンではシーア派の少年兵がジープで山奥に逃げていくのを見送った。長く住んだヨーロッパでは直接的な宗教体験はしなかったが、何十という教会や修道院を訪問した。過去も現在も世界中の紛争の多くが宗教を発端に起きていることを考えれば、自分が神を信じる日は来ないと確信しつつ、神を信じる人々を尊重したいと思うのだ。
 だから日本にいると妙な違和感を覚えることがある。テレビや雑誌・インターネットなどでよく見聞きする「神対応」とか「神の子」なんていう言葉だ。タレントがちょっと配慮のある行動をしただけで「○〇の神対応はさすが」などと書かれる。才能のあるスポーツ選手を「神の子××」なんて呼んだりする。最近は「神ってる」という動詞にまでなっている。八百万も神がいる国だから、身近かな存在ということなのかもしれない。信仰心をお持ちの方はああいうのって気にはならないのだろうか?私は落ち着かなくなる。
 天は自ら助くる者を助く。これをキリスト教の聖書の言葉だと勘違いしている人がいるが、もともとはラテン語の古い諺だ。特定の宗教の言葉ではなさそうだということで、自分で設けた基準はクリアしていることにした。サミュエル・スマイルズが著書「Self-Help」の中で使った「Heaven helps those who help themselves」という文を思想家の中村正直が「西国立志編」(1871)でこのように訳して広まったらしい。「自立して努力している者には天の助けがあり、幸せになる」というような意味なのだろう。「自ら助くる者」とはまさに成城学園の目指す「独立独行」の人材だ。
 でも、この諺はたぶんウソだな。真実なら私はとっくに宝くじに当たっているはずだ。「努力している人に運が向くと良いなぁ」という願望の諺だと解釈するのが現実的だろう。少なくとも成城学園は努力している人が報われる学校でありたい。