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  • 2016.06.13

    言葉の筋トレ 4 「いいことを照れもせずにいう奴は、みんな疑ったほうがいいぞ」

    言葉の筋トレ 石井弘之

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第4回

いいことを照れもせずにいう奴は、みんな疑ったほうがいいぞ

吉本隆明

(この言葉は西棟3階にあります)

 不真面目より真面目な人間の方が良いに決まっている。しかし不真面目な人間は戦争を起こさない。ちゃらんぽらんな人間は戦争なんて面倒でやってられない。戦争を起こすのは必ず真面目な奴だ。真剣な奴だ。テロも同じ。不真面目なテロリストなんていない。自分の信じる正しさのために命を懸ける。人の命を奪うことが最大の悪だとするならば、不真面目になった方が良い。
 私たちはこの矛盾を乗り越えなくてはならない。どうすれば良いのか。答えは簡単。マジメでありつつ常に自分の正しさを疑うことのできる人間になれば良い。でも実行は難しい。なぜなら教育も政治も宗教もみんな正しさを押し付けてくるからだ。かつて日本は教師も議員も聖職者もみんな一致団結して戦争への道に突っ込んでいった。みんな自信満々に正しいことを語っていたからだ。
 自分たちの業界に絞ろう。われわれ教員は常に正しいことを言い、正しいことをするよう求められる。さらには正しいことを生徒にさせるように求められる。そこに思い上がりが生まれる。勘違いに陥る。神の位置に立とうとしてしまうのだ。
 いいことを照れもせずにいう奴は、みんな疑ったほうがいいぞ。
 この言葉を戦争への道を防ぐ心構えだと私は勝手に解釈している。戦隊もののヒーローは悪と戦う。でも本当の戦争は正義と正義との戦いだ。正義を疑う力こそが戦争を止める。
 吉本隆明について「若い人には吉本ばななのパパと言った方が良いだろう」などと紹介している文章をときどき見かける。気の利いたことを書いているつもりだろうが、あちこちで目にするので私は言わないように気をつけている。そもそも今どきの中高生は吉本ばななだって知りゃしない。
 ばななの父親である吉本隆明も私の年齢より下の世代にはあまり広がっていかなかった。今の60~70歳くらいの人たちの思想的カリスマのひとりだった。実は私も2冊しか読んだことがない。『共同幻想論』『言語にとって美とは何か』だけだ。トータルとしては正直よくわからない。それは著者のせいではもちろんなく、私に読解力がないからなのだが、部分的にはたいへん面白かった。無理やり目を開かされた感じがする。そのひとつが今日紹介した言葉に集約されている。お偉い教師にならないように戒めとしている。