学園の歴史 / Topics

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【コラム】合同体育祭と秋の空

2019.02.01

ワンキャンパスならではの伝統行事

 2018年10月7日(日)、成城学園創立100周年記念合同体育祭が開催されました。春に人工芝となった第一グラウンドに幼稚園児から大学生までの約2500人が集結した全学園合同体育祭。現在では10年毎の周年記念行事として開催されていますが、1991(平成3)年まで毎年開催されていました。その歴史は古く、1922(大正11)年まで遡ります。

体育祭(体育大会)誕生について、年誌『成城学園90年』にはこう書かれています。

体育大会の誕生を『教育問題研究』53号の「第一回体育大会記録」(照井猪一郎)から引用すると、「子供が最も放胆に自分をさらけ出す休憩時間、だが、職員は雑用に追われ、同時にグランドに見出すことの出来ない遺憾をもたらすのである」とあり、「少し規模を拡張して、父兄・児童・職員と三位一体の体育会を計画して楽しい秋の半日を過ごしてはどうかと隴を得て蜀を望んだのは小原主事であった」と記されている。

1922(大正11)年11月3日、明治神宮祭の日。13学級(小学校12学級、中学校1学級)、合わせて330名の児童・生徒が、青・緑・橙・黄組に組分けされ、3000㎡余の運動場に描かれた150メートルのトラックに集った。

 その後、現在地への移転、幼稚園、旧制高等学校、旧制女学校の開校を経て、創立10周年の1927(昭和2)年には、整備された大運動場(現在の第1グラウンド)で、幼・小・中・高合同の第一回全学園体育大会を開催しました。さらに戦後は大学も参加し、規模もさらに大きくなりましたが、変わらぬ場所で変わらぬ「楽しい秋の半日」を過ごす、ワンキャンパスの成城学園ならではの伝統行事となっています。

悩みの種は「秋の空」

 ところで「平成最後」の年は日本列島に接近する台風が多く、100周年記念合同体育祭の日も台風接近の予報で、当日朝まで開催の行方にやきもきする状態でした。結果として台風は関東を逸れて快晴に恵まれ・・・過ぎて、10月としては異例の真夏日となる暑い一日でした。
 実はこの「秋の空」の悩みもちょっとした伝統のようです。
 1960(昭和35)年発行の保護者向け広報誌『成城だより』に、ある教員のこんなコラムが掲載されていました。

あまり縁起のよい話ではないが、学園の運動会は雨がつきもののようによく言われるが、戦前も、それはずっと以前から毎年10月17日神嘗祭に決まっていたが、殆んど毎年のように雨にたたられるので、あとでは日を変えてやつたものだった。而しそれでも雨がつきものでほとほと困りぬいたものだ。大体10月中旬は毎年雨の多い時なので、終戦後4、5年はこの雨の多い10月中旬をさけて10月上旬に変えたところ、幸い雨にたたられる事が少なかつたので一時厄払いでもしたかのように感じられたものだった。が最近は学園の各学校の行事の関係で、また雨の多い10月中旬に開かれるようになったので、又々雨にたたられるようになつて、一昨年もとうとう雨で流れ、昨年は何とか出来たものの、午前中は運動場が水浸しで随分困りぬいた。

一体感あふれるパフォーマンス

 天気に悩まされながらも、いろいろな工夫で続いてきた合同体育祭。さらに昔の写真を見てみると、もう一つ伝統が。

 この写真は1941年と2018年に行なわれた合同体育祭のもの。2018年の合同体育祭の人文字は、ドローンで真上から撮影したものです。グラウンドが土から人工芝に代わり、撮影技術も進化し、さまざまな変化がありますが、人文字で作る「SEIJO」は今も昔も変わらぬ定番のパフォーマンスであり、一体感を表す成城学園の象徴です。